Go!伊勢崎 華蔵寺公園の燈台  [ 伊勢崎市に残る建造物遺産 ]  [ Home ]




華蔵寺公園の燈台

掲載日:2014/11/30 画像下の日付は撮影日
 大正15年築造の石積み燈台が華蔵寺公園に残されています。場所は華蔵寺公園遊園地のサイクルモノレール乗り場の東側です。
 遊園地の外側ですが、華蔵寺公園遊園地はその昔は野球場。燈台の近くまで3塁側のコンクリート製観覧席がありました。遊園地北東隅には、バックネット裏の観覧席が今も残され、当時の姿を思い出させてくれます。華蔵寺公園から徒歩数分の所で生まれ育った私にとって、華蔵寺公園は子どもの頃の日々の遊び場でした。
 当時(既に半世紀以上も前のことですが)は、現在の野外ステージの辺りが芝生広場になっていて、ブランコと遊動円木、鉄棒があり、野球場とその北側の駐車場を除けば松林に囲まれた公園でした。華蔵寺山頂には神社があって、その南側の参道の階段脇にはツキノワグマ(月輪熊)が飼われ、他にも鳥小屋や何かの動物(狸だったか猿だったか忘れました)小屋があって、ちょっとした動物園でした。熊は小屋の奥に掘られた洞窟をゆっくりと出たり入ったりしていて、近所の誰かが餌をあげようと鉄製フェンスに手を伸ばした時に指を噛まれた、などと言う話も広がって、恐いものを見る思いで良く眺めていました。
 何で華蔵寺山頂に神社があったのか謎ですが、何かの理由で撤去された以降は、雑木に囲まれただけの物騒な雰囲気の山頂でした。山頂が水道山になったなどと言う話を聞いたことがありますが、実際の話は調べていません。
 山と言っても、今眺めると大した標高ではありませんが、子どもの頃には、山頂を登ったり下りたりすることは結構な運動で、特に、山頂から西側斜面を自転車で下り降りることはスリルに満ちていました。もちろん未舗装のガタガタの斜面なので、危険覚悟。ブレーキを踏むこととスピードを楽しむこととの駆け引きです。小学生の頃から自転車で新里村辺りまで遠出していましたが、華蔵寺山の自転車下りなどを思い出すに、現在、休日のたびにMBに跨ってぶらりサイクリングしているのは、この頃からの感性だったかも知れません。

 現在は、華蔵寺山と粕川の間を2車線道路が走っていますが、当時は山の北側から東側斜面は畑や雑草地が広がり、小川と狭い農道が一本通っているだけでした。この農道も物騒な雰囲気なので、普段は誰も通りません。ただ、この小川には夏にはホタルが舞うので、良く見に行ったことを覚えています。
 華蔵寺山の北側から北西側にかけての斜面(現在の北側斜面の遊具広場や石畳)には畑が広がり、1,2軒の家が建ち、畑には桃の木等が植えられ、山羊なども飼われていました。今のドーム型の大きな鳥小屋付近には洋館があって(やましろ館と呼んでいたよう記憶しています)、夏になると、アメリカ人一家が訪れ、これも謎めいた話でした。中学生だった自分と同じような年齢のアメリカ人二人と洋館の近くで会い、勇気を奮って、挨拶やら名前や年齢を聞く程度の覚えたての英語で話しかけて、それが通じたものだから、話しかける前よりも興奮し、心臓がパクパクしたことを懐かしく思い出します。
 その後、東京での13年半の暮らしを経て伊勢崎に戻った時には、華蔵寺公園は大きく様変わりしていて、洋館も民家も野球場も消え、遊園地だけじゃなく、立派な道路が通り、水生公園やローラー滑り台、石畳等も整備され、市内外に名前が通った楽しく明るい雰囲気の公園に変貌していました。
 子ども達が遠くへ巣立ち、遊園地を利用する機会も減り、今では素通りするだけの公園ですが、昔の思い出が消えゆく今、この燈台の存在や、バックネット裏のベンチなどは、当時の記憶を蘇らせてくれる懐かしく貴重な存在です。

 燈台を紹介するだけのつもりが、つい長い前置きになってしまいました。現地説明板に示される燈台の由来を下記に示します。華蔵寺公園を訪れた時、思い出したら見学してみてください。(2014/11/30 記)

燈 台

 大正7年(1918年〉に第一次世界大戦 が終わり、石川泰三町長が平和を記念する施設について広く町民に意見を求めたなかに「伊勢崎公園(華蔵寺公園)に 電燈を点火し衆人の便益を図ること」という提案があつた。それが石田繁蔵・山田喜作両氏の寄附行為によって大正15(1926年)に実現した。
 当時としては近代的なドイツ式石積み構造で、しかも住民の浄財によ って造られた貴重な遺産である。

燈台の位置

観覧車と背比べ 2014/11/19

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 燈籠の高さは不明ですが、塔形状は下部から上部にかけて徐々に細くなっています。円柱で言えば、エンタシスのようです。基部を測定すると、断面形状は正方形で、一辺の長さ=75cmです。石造のため石面の凸凹がありますので、概略寸法です。

2014/11/19


塔頂部 2014/11/30

建設銘板 2014/11/19

大正15年4月建設

町長 石川泰三
助役 戸谷清一郎
公園委員 鎌塚芳五郎、木暮松八、
       近藤治吉、矢内善太郎
燈台寄附者 石田繁蔵、山田喜作


説明板 2014/11/30
燈籠基部に設置された説明板。残念ながら、
経年の風雨により、判読が難しい状態ですが
光の加減によっては判読できます。
下記にその結果を示します。

現地説明板(上左の写真)に判読した文字を重ねました。 2014/11/19


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2014/11/30

2014/11/30


家族連れで賑わう遊園地の脇で、ひっそりと立ち続ける燈台 2014/11/19

掲載日:2014/9/23 ▲ページTopへ

いせさき旧時報鐘楼は来年100歳

 大正4年(1915年)建造の伊勢崎市曲輪町の旧時報鐘楼は来年100歳の誕生日を迎えます。
 この場所から南東方向へ120mのいせさき明治館は、2012年7月11日に100歳の誕生日を迎え、いせさき明治館100年物語」のイベントを開催しました。
 伊勢崎市の建造物遺産として、またシンボルとしてその役割を担っている旧時報鐘楼。個人あるいは団体などで100歳の誕生日を祝ってあげましょう。正確な完成月日は現在未確認ですが、4月か5月頃とのこと。分かり次第追って再掲します。(2014/9/23 記)
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【メモ】 旧時報鐘楼
 大正4年、三光町出身の横浜の貿易商・小林桂助氏が寄贈した県内最古の鉄筋コンクリート建造物。高さ=14.56m。伊勢崎市指定重要文化財。現在、赤石楽舎前の広場に建っています。

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2010/10/17

ライトアップされた時報鐘楼。いせさき燈華会(とうかえ)の日 2010/10/17





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