■ハンドルネーム | 丸男(まるお) |
■出身&現住所 | 群馬県伊勢崎市 20代〜30代半ばまで東京港区の橋を作る会社に13年と3ヶ月勤務(設計やシステム開発) |
■生まれた年 | 昭和24年(1949年) |
■趣味 | 音楽(ジャンルに拘らず)、映画、絵画、テレビ(ドラマ、自然紀行、科学)、小説、庭木、山野草、ぶらりサイクリング、登山、ハイキング、水泳 |
■普段はどんな仕事を? | 土木設計や橋梁設計、WindowsやWeb上のソフト開発。 日頃はどんな雑用もマメにこなしています。 「Go!伊勢崎」のHPは、主に休日にサイクリング&取材、夜〜深夜にコンテンツ作成とアップロード。たまには会社で。 |
以下の文章で管理人・丸男のプロフが浮かんでくれば幸いです。 肩書きや職業的なプロフはこちら。 [ サイクリングのススメ ] |
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■子供の頃からサイクリングが好きでした サイクリングと言うとちょっとお洒落ですが、実際はブラブラと周囲の風景を見るのが好きで、徒歩じゃ行動半径が狭いし、電車やバスじゃ路線もダイヤもないし、その結果自転車になったと言うところです。 新緑が芽吹く前の春先の里山風景や曲がりくねった田んぼ道、わらぶきの民家、それらが適度なアップダウンのある道と程よく絡み合っている立体的な風景は絶好の場所でした。 たまには街中の住宅密集地にも行き、道が迷路のようにクネクネと住宅のすぐ脇を通り抜け、それぞれのお宅が玄関回りや塀の隙間などのちょっとした狭い空間に、植木や草花を上手に置いて楽しんでいる風景に驚きながら、ちょっと謎めいた下町情緒的な風景も楽しんでいました。 でも、やっぱり気の向くままに任せると、ハンドルは大概北の方に向いていました。何回も訪れたのは大間々や新里です。隣には赤堀がありますが、近過ぎて子供なりの「冒険」要素が少なく、その点、新里辺りに行くと山川の風景、アップダウンなどの勾配や数、ちょっと怖い感じがする山の深さが少年時代の私にはピッタリでした。 サイクリングに特に目的があった訳でもありませんが、ただ、「遠くに見えるあの森は何だろう。神社かな、お寺かな」、「この道はどこへ続くんだろう。あ、ここへ出るのか」と自分勝手に疑問を持ったり納得したりのブラリ旅です。 伊勢崎までの帰り道は、赤城南麓の緩やかな勾配のお陰でペダルが軽くてとても楽しいものでした。北の方が自然の風景が多かった事もありますが、南へ行くと帰りが辛いと言う気持ちも暗黙に作用したかも知れません(最近は南は境平塚、北は赤堀・小菊の里、西は駒形IC、東は東(あずま運動公園)まで、縦横無尽にウロウロしています)。 子供の頃の自転車ブラリ旅は友人と行った事もありますが、一人で行った事の方が多かった気がします。今でもこの楽しみは続いていまして、休日の暇な時にはカメラ片手に出かけています。妻も付き合う事もありますが、「途中、何か美味しいものを食べるよ」とか「ダイエットになるよ」、「運動すると寿命が延びるよ」とあの手この手でニンジンを用意していますが効果はイマイチです。その結果、最近はもっぱら単独行動を余儀なくされています。 このサイトのあちらこちらに画像を貼り付けていますが、全くの趣味の一環なので何の苦労も苦痛も伴っていませんので、我ながらこのサイトの立ち上げは自己満足的有意義趣味発見と言った心境です。 ■遺跡調査や工事現場を見るのも好きでした 若い頃は華蔵寺公園の西側の運動公園の整備工事くらいしか記憶はありませんが、東京からUターンした30代の中頃以降、ちょっと行ける範囲で様々な工事が行われました。 私の興味は「ここに○○ができるらしいよ」との噂話を聞いたり、広い面積の土地が整備されたりする風景を見ることから刺激を受けます。実際に測量や遺跡調査が始まったり建設内容を公示する看板が立ったりすると、「お、噂じゃなくなったな。いよいよか」と更に関心が高まります。遺跡調査段階になると暇を見つけては見学に行きます。群馬県立ふれあいスポーツプラザや北部循環道路、上武道路や北関東自動車道の建設現場では長期間に亘り遺跡調査を行っていて、調査地に立ち目を閉じて腕を組み当時の人々の生活に思いを馳せます。そこには 腰蓑を巻いて髭を伸ばして石臼で穀物を擦っている自分がいて、周りには子供たちがはしゃいでいます。 西部モール近辺や市民病院の北の道路などはまだ畑や田んぼ、藪や雑草地だった頃から何度も訪れ、ベイシアを建設するために「清水建設」が現場事務所を立てる前からあの広大な水田地帯を何度も現場踏査したものです。付き合わされた妻や子供達は全くの災難です。公園ならまだしも、何もないだだっ広い田んぼの中では遊びようがありません。華蔵寺公園にジェットコースターや観覧車工事が始まった時などは、会社が近所なせいもあって、毎日昼休みに見物に行き、高い所で大した足場もないのにピョンピョンと歩き回る鳶職人さん達の姿に目を奪われていました。 北関東自動車道の道路中心位置に旧・日本道路公団のオレンジと緑のスマートな中心杭が立てられた時などは、「フ〜ン、ここがセンターか」などとその位置に立って完成後の姿をイメージし、一人自己満足に浸っていました。私の妻は現場見学に無理やりに付き合わされる事が多くて、私のこの行為を「パパの頼まれもしない現場監督」と称しています(「パパ」と言う顔はしていませんが。純和風の特徴のない顔です。スミマセン)。私は私で、道路や建物が完成すると、「ウン、ボクの現場監督のお陰で立派に仕上がった」とド勘違いに浸っていい気分になっています。 ■出掛けるのが好きなので、完成後もマメに視察?に行きます 完成した後は完成前程の興味はなくなりますが、それでも出掛けるのが好きなので「その後どうなったかなぁ」と、視察に出掛けます。視察と言うと偉そうですが、単に行って見て来ます。それで自己満足しています。 特に店舗建築の場合、「現場監督」中は内装の様子までは分からないので、店舗が正式オ−プン後、中に入ってじっくりと眺め、「あぁ、あそこのでっぱりはこの部分だったのかぁ」とか「あ、やっぱりここが業者の搬入口だったんだな」と一人納得しています。店オープン後の視察?には100%我がカミさんが積極的に付き合います。 公園だったりすると、「この辺の植木はなかった方がいいな」とか「そろそろ剪定しないと」、「朽ちたベンチを放置しては危険じゃん」などと大きなお節介もします。誰も遊んでいない公園や施設を見かけたりすると、「もったいない、こ〜すれば利用者が増えるのになぁ。」と勝手に偉そうな事を言っています。ま、独り言なのでお許しを。多分、皆さんもきっと同じ様な事をブツブツ言っているのでは? と言う事で、このサイトの立ち上げは、このようなブラリ自転車旅と自分勝手な現場監督趣味の影響多大です。 皆様には末永くよろしくお付き合いください。 [ サイトの目的 ] (2006年秋 記。2007年春 追記。2007 夏 追記) |
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職業的プロフ ▲ページTopへ 「Go!伊勢崎」を開設して1年4ヶ月、このサイトの内容が縁で多くの方と接触しました。 知人、友人、仕事柄の縁の人達は「お、頑張って!」と何ら問題はなかったのですが、初対面の人達の中に「氏素性が分からない者は胡散臭い」と言った視線を向けられる事もあって、士気を阻喪される事もありました。ま、確かに、相手の立場で考えてみれば、休日のサイクリングを兼ねた取材時の井出達は、運動用の普段着を着て背中にリュックを背負い、マウンテンバイクに乗った姿なので、不審者に思われても仕方ないのですが。遠目には空き缶を集めるホームレスおじさんと変わりません。 そんな時のため、秘かに所持する名刺を渡したりすると「あぁ、そうですか、なぁるほど」と納得して態度が変わったりすることもあり、「やっぱり初対面は肩書きが必要なのかなぁ」と不承不承ながら考えたりもしていました。 「『肩書き』での付き合いは本物じゃない」と思っているのと、「資格を取ると人間が四角くなる」と言う巷の名言も知っているので、「ただの市井の物好きなオジサン」として感性を通じたお付き合いをしたくて具体的プロフを紹介せずに通して来ましたが、新たな情報源やより正確な情報を得て皆さんに紹介するには、やっぱりある程度は管理人の職業的プロフも紹介するのが社会の常識なのかと考え、下記に紹介する次第です。 もちろん、今までの姿勢でも、当サイトの内容自身に興味関心を持ち、好意的かつ協力的に情報を提供してくれる方達もたくさんいて、それが縁で交流が始まった人達もいる事をお伝えしておきます。(2008/1/16 記) ■職業■ ・建設コンサルタントエンジニア ・システム開発エンジニア ■資格■ ・技術士(建設部門:鋼構造及びコンクリート) ・1級土木施工管理技士 ・測量士 ・(通産省)特種情報処理技術者 |
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若い時に良く聴いたのは、ビートルズやビージーズ、ボブディランやエリッククラプトン。カーリーサイモンやキャロルキング、ダイアナロス。その中で最も感性に響いたのはディオンヌワーウィック。いっぱい聴いた分、何歳になって聴いても、若い時の自分やその当時の独身寮や都会の狭いアパート生活、頼りないけど夢いっぱいだった日々の生活、飛行機を3回乗り継いで辿りついたオーストラリアへの脱出旅行、真夜中に降り立ったパース空港での心細さ、その当時の心情や風景などが音楽と一緒に蘇り、現在の自分と重ねて、人生を振り返ります。先日、Youtubeでディオンヌワーウィックのライブ映像を見つけたので、ここに貼り付けておきます。
Dionne Warwick In Concert 1983Dionne Warwick - Live In Concert 2005 Tour |