「道元三屋敷由来」碑
               
                道元三屋敷由来 
  道元の名のおこりは、赤堀家の伝承では「道元といふあり、道完
を誤りたるなるべし」とあります。
  赤堀氏は、天慶三年(940年)平 将門を討った功績により、
武蔵守鎮守府将軍になった田原藤太藤原秀郷の末裔、田原藤原泰綱
 が、この地に移り住みました。
  戦国の頃、赤堀上野介赤堀景秀は北条氏に従って沼田城攻めの最
 中、天正十八年(1950年)小菅摂津守信久に赤堀城を奪われた
 と伝えられています。
 元和年間、赤堀上野介赤堀入道綱歳が、この地に館を定め、後道元
 屋敷といわれるようになりました。
  赤堀家二十八代源八は、中島家に生まれましたが赤堀家の跡目を
 継ぎ酒造業を始め、その後二百年程続き道元の繁栄の元となりまし
  た。
  中島氏は戦国時代、武田氏に従臣していましたが、江戸時代の初
 め、信晴伴七がこの地に移り住み、五代文左衛門の時、資産家とな
 りましたが、事業に失敗しました。
   弘化四年(一八四七年)祐八が南隣に分家して「関根屋」の屋号で
 雑貨店を開業し繁盛しました。この三軒の店を「道元三軒」と呼
 び、人々の往来が多く、昭和初期まで田宿は繁栄しました。