赤城神社観応2年宝塔
                                                                                                         
 『伊勢崎市史』「通史編1」「第三章 中世社会の伊勢崎」「第六節 石造物の世界」(K224イ バーコードナンバー101801918)748〜751頁 原文縦書き

赤城神社の宝塔・多宝塔

  旧大字下植木字宮ノ前(現宮前町)に赤城神社がある。主要地方道伊勢崎・桐生線が粕川を東に渡った地点の南の森の中にあり、赤城山小満を水源とする粕川が、大きく東方に曲がってゆく左岸に当たる。
 境内に杉や松の大木があり、社殿の南側の東西大門道には、幅四間の大道両側二〇〇メートルほどに大杉の並木があった。流鏑馬(やぶさめ)神事では、社殿参道中央にある丸石(ウプ石という二b以上の巨石)の上に神馬(じんめ)の御幣が乗り移り、神官の祝詞(のりと)読みが終わってから発走となる。その社地内に石造物が数基あって、今は収蔵庫内に安置されているが、うち南北朝時代の二基の宝塔・多宝塔の銘文が貴重である。 宝塔も多宝塔も、法華経の「見宝塔品(けんとうほん)に釈迦が霊鷺山(りょうじゅせん)で法華経を説いた時、地下より忽然と宝塔が湧き現れて、塔の中から多宝如来が声を発して釈迦を讃めたたえ、釈迦を塔中に招き入れて座らせ、釈迦如来・多宝如来の二仏が並んで座したということからはじまっている塔である。基壇・基礎・塔身・笠・相輪の五つの部分からなり、塔身に四角の裳階(もこし屋根)をつけたものを一般一塔と区別して多宝塔という。
 石造のは宝塔は各地域で独特な発展を遂げ、国東塔(くにさき 大分県)、赤崎塔(山陰地方)などあるが、赤城山南麓の粕川水系に分布する塔身が壷型で下が幾分細くなっているものを尾崎喜左雄の命名によって赤城塔と称している。
 赤城神社には、A観応二年(一三五一)十一月の宝塔(赤城塔)とB貞治五年(一三六六)十一月の多宝塔がある。後者は独特な形態なので異形多宝塔である。両者とも群馬県指定重要文化財となっている。
 Aは、基壇(高三二・五センチ、幅七二・五センチ)、基礎(高二〇・〇センチ、幅六二・〇センチ巧、塔身(高六一・九センチ、上幅五三・六センチ、下幅四四・〇センチ)、笠(高四〇・八センチ、下幅七二・五センチ)で、相輪は後補である。基壇の正面・左右面に次の銘文が刻まれている。銘文を読み下しと対照させて示す。
  A観応二年(一三五一)宝塔銘
(正面)
夫以、塔婆者、衆生元来出世像、諸仏常住之道場也、是以、多宝涌現証明者、是真実釈迦出世顕、説皆成仏道、実是一大事因縁哉、故一結諸衆、伝大蘇之行儀、秘楞厳之古風、企法花三昧之妙行、書十如実相之妙文、安石塔之宝室、備逆修之修善処也、仰願霊山浄土一躰、三宝依此善趣而、証空無上@(菩提)、各〃得無所位果乃至法界平等無差、故敬記、
   観応二年十一月日
@(「并」の右下が「下」となっている。)
(向左側面)
共行人数
  一和尚行密   二和尚宗海
  三和尚竜山   四和尚等海
  五和尚明賢   六和尚幸春
  七和尚善海   八和尚成賢
  九和尚隆海   十和尚厳栄
 導師 権律師妙位
 給使者 智覚妙位
 石塔大工 実妙維那真光
 造花師 守安
 (向」石側面)

 諸檀施主
  常保    名阿    妙幸    実円
  喜阿    妙禅   道昭    貞吉  
  妙実    行阿    清吉    国光
  妙善    妙一   孫六    国経
  □□    妙道(カ) 妙円     妙皓
  了辛     妙光     空道(蓮カ)経阿
  円妙    法蓮   妙法    妙相
 右、所A録大概如件
A(左「票」右に「瓦」で造る漢字がある。)
  (本文読み下し)
 それおもんみれば、塔婆は衆生元来出世の像にして、諸仏常住の道場なり。これをもって多宝涌現(たほうゆうげん)の証明は、これ真実の釈迦の出世を顕じ、みな成仏道(じょうぶつどう)を説く。実にこれ一大事因縁なるかな。故に諸衆を一結(いっけつ)して 大蘇(だいそ)の行儀を伝え、楞厳(りょうごん)の古風を秘(ひ)し、法花三妹(ほっけざんまい)の妙行(みょうぎょう)を企て、十如(じゅうにょ)実相の妙文を害して、石塔の宝室に安んじ、逆修(ぎゃくしゅう)の修善(しゅぜん)に備うる処のものなり。仰ぎ願わくば、霊山(りょうざん)浄土、一体三宝、この善趣(ぜんしゃ)に依って空無上(くうむじょう)の菩提(ぼだい)を証し、各々無所位(むしょい)の果(か)を得、乃至(ないし)法界(ほっかい)平等無差(びょうどうむさ)ならんことを。故に敬(うやま)って記す。
  (中略)
 右、A録(けんろく)するところ、大概くだんの如し。
 正面の銘文本文は、多宝塔の功徳を述べ、「道修の修善」(生前供養)のために造塔を行うという趣旨が述べられている。
 左右面には、多くの人名が記されている。最初に仏事供養を行った行密など一〇人の僧侶の名が記され、導師の妙位、給使者として智覚・妙位の名がある。次いで、塔を造った石塔大工として実妙、維郡(事務担当者)として莫光の名がある。最後に、道修(ぎゅくしゅ 生前供養)をする檀那・施主二四人の名がある。このうち貞青・清書・国光・孫六・国経という五人の俗名以外はすべて法名で、「妙」の字のついた人が一二人、「蓮」が二人と多く、これらの人びとが法華経信仰にもとづく結衆(信仰集団)であることを示している。また多くの女性が含まれている。