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壱番街通り整備 投稿者:しょうちゃん 投稿日:2019/02/10(Sun) 22:16 No.954
壱番街通り整備がすすんでますね。
中田カメラ店さんは昔は良く行ってましたね。
カメラ45(最短45分で現像)やコイデカメラ・カメラのキタムラが
出来てからは遠のいてしまいましたけどね。
あの頃の店主のご老人は存命してるのかな?なんて思いながら通ってます。
昨日のNHKのブラタモリでは巨大な開発をしたけど、昔の街道の名残を残してる
所が有ると言う武蔵小杉を探検してましたね。
伊勢崎駅周辺は残してあるのかな・・・?
駅の極近くに自営業の親戚(移転)や自営業の同級生の家(今もポツンと残ってる)が
有ったので気になりますね。
Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/02/11(Mon) 08:59 No.955
中田カメラ店さんの店舗と、その南の交差点角地の建物はまだ残ってます。
交渉が進んでいないのか、交差点改良時に同時に工事を行うためか、理由は分かりません。

伊勢崎駅周辺の区画整理区域内で、昔の住宅が残るのはごく僅かと思います。
古い建物を残すとすれば、解体移築か曳家移転がありますが、
曳家移転は駅北の材木屋さん、駅南の大手町パティオ隣の古民家の各一軒で、
ほかは解体撤去し、新しく整備された街区に新築すると言った流れですね。

駅周辺と限らず、伊勢崎の街中からは昔の家並みは消えつつある感じですかね。
桐生市の本町通りなどは、重伝建クラスの昔の家屋がまだたくさん残っていて味わいがあります。


Re: 壱番街通り整備 - 鳩ぽっぽ 2019/02/13(Wed) 21:03 No.956
しょうちゃん、丸男さん、
またまた昔の話ですみません。中田カメラ店さんの前の通りですが、昔々の江戸時代は紺屋町(こーやまち)といった地名でよく時代劇に出てくるような道の真ん中に水路のある通りだったようです。
別の箇所で昔、日吉劇場のあった通りは父の若い頃は用水路が残っていたそうです。幅は狭いですがこの水路はかつての伊勢崎陣屋の外堀と思われます。今じゃみな暗渠になってしまったのでしょう。
陣屋時代、その外堀は伊勢崎駅の方の昔、ホームセンターおかそうさんがあった南の東西の通りまで巡っていたということで、おかそうさんの東の方に銭湯と公衆トイレがあった道路の南側には平成になっても水路がしばらく残っていたように思います。そこには家具屋さんか何か何軒かのお店が並び、お店にに入るのに道路から小さな橋を渡って入っていた光景がありました。
この辺りの町並みもすっかり変わりはててしまいましたね。

画像は伊勢崎風土記からで何年か前にこちらの掲示板に投稿させて頂いたものです。すでに自分の手元にはないのですが、丸男さん、残しておいてくださってありがとうございます。



Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/02/13(Wed) 22:24 No.957
鳩ぽっぽさん、当時のやり取り、懐かしいですね。
「伊勢崎陣屋の痕跡を探る」と題して、こちらにまとめてあります。
https://www.go-isesaki.com/green_in_city_center.html#jinya
伊勢崎陣屋の城郭や内堀などの予想図も確認できます。

日吉劇場の通りの水路は、ひょっとしたら西桂川が粕川合流直前で分水し、
華蔵寺公園の東を流れ、サンデンの真ん中を通り、「アイタワー花の森」の東を流れ、
元田子瓦屋の北へT字でぶつかり、少し西へ向かってから南下し、日吉劇場の道路を流れ、
本町を抜けて、「赤城煎餅」の東を回って蛇川に合流している用水と思います。
今は駅周辺開発で、「アイタワー花の森」から元田子瓦屋付近が付け替えになったとは思いますが。


Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/02/13(Wed) 22:32 No.958
先述の用水ですが、
「アイタワー花の森」の東を流れて元田子瓦屋の北へT字でぶつかり、
少し西へ向かってから南下を始める地点で、西側からの流れ
(元の駅前交差点から元矢代肉店や川島スーパーの北側を流れていた水路)
と合流していました。
当時の写真も撮っておいたのですが、その当時からパソコンが5、6代目なので、
見つけ出すのは不可能に近い気がします。
いくつかは駅周辺開発のページに掲載してあります。


Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/02/13(Wed) 22:55 No.959
駅前の銭湯の解体時の写真(撮影:2008/7/26)をこちらに掲載してありました。
https://www.go-isesaki.com/station_5.htm#s
当時の様子は、JR高架化のページと駅周辺区画整理のページとどちらかに掲載しましたが、
JR高架化のページ内の市街地整備記事は、区画整理の方に移設すれば
駅周辺の変遷が分かり易いですね。いつか暇を見つけて再整理しましょう。


Re: 壱番街通り整備 - 鳩ぽっぽ 2019/02/14(Thu) 20:33 No.960
丸男さん、お返事ありがとうございます。
言われてみるとあの通りに瓦屋さんがありましたね。現在の街では、銭湯もスーパーもここにあったという位置関係が私にはわからなくなってしまいました。「子供のころ遊んだ広場は大きなビルが みんな消えてゆく 古い校舎は建てかえられ記念碑さえ みんな消えてゆく 空に浮かぶ白い雲のように でもこの街が好きよ育った街だから・・・」と歌った森高千里さんの「この街」の歌詞の心境です。
Go!伊勢崎さんの一つのテーマである「伊勢崎の街づくり」ですが、掲示板でこのエリアについて今まで話題になってきた内容を大きく3つの時代に分けるとしたら、1、陣屋を中心とした江戸〜明治初期 2、少年時代に過ごした昭和の町 3、平成の区画整理〜新しい街の完成する新元号時代。といった感じでしょうか?

またまた、懐かしい水路についての話題にもおつきあい頂いて嬉しいです。丸男さんが言われている「西桂川が粕川合流直前で分水し・・・」という水路に近い経路について、私が4年前に投稿させて頂きましたコメントで恐縮ですが引用させて頂きます。

「1706年(宝永3年)に八坂用水が開削される以前の伊勢崎周辺の水利事情も興味深いですね。
昔々、上植木村の粕川には三つの堰があったそうで、丸男さんの言われる通り17世紀は「相ノ山橋」付近にあった堰から取水した水を伊勢崎町方面に送っていたようですね。
現在も間之山橋から宴会場の旧宝島さんの脇を通る用水路が残っていて興味をそそります。
また、1632年(寛永9年)になるとその取水堰を華蔵寺東の堰に移しているので、そちらが「三ノ堰」になるのでしょうか。
この「粕川堰用水」は華蔵寺南の現在の六間道路と北部環状線の交差する八幡町交差点辺りから旧道に沿って南流し、現在の寿町辺りからは旧道とともに六間道路からそれて斜めに(南南西の方向)向かい、「紺屋町(こんやまち)出口」(現在の伊勢崎駅前)方面に到達し稲作、城下町の防火用水に使用されてます。
そのルートをすでに丸男さんが掴んでいたということでさすがですね!
この斜めに曲がった旧道は石川泰三町長時代の大都市計画以前の道路で、華蔵寺公園から茂呂村まで一直線の六間道路が完成してからは姿を消していったのでしょう。」

ということで、現代は駅北の道路や水路は南北に整ってますが、明治の迅速地図を見ると昔は寿町付近〜伊勢崎駅方面に向かう斜めの道と水路がメインストリートだったようです。
お詫びと訂正・・・前回投稿させて頂きました古地図は伊勢崎風土記でなく「伊勢崎市史」からの間違いでした。すみません。_(._.)_


Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/02/15(Fri) 10:30 No.961
鳩ぽっぽさん、
>1、陣屋を中心とした江戸〜明治初期 2、少年時代に過ごした昭和の町 3、平成の区画整理〜新しい街の完成する新元号時代。
確かにその通りですね。
2と3はまだ記憶の中にあったり、取材を通じて知ったりすることができるので、記録し続けたいと思っています。

西桂川から分水した用水は、実は粕川合流地点から本町通りまでを踏査したことがあります。
その時には用水のご近所さんに話を伺ったりもしました。
「アイタワー花の森」の南北区間は、たまたま市からいただいた設計業務の中に、用水付け替え工事も入っていて、
その時に、この用水と、駅南西側を斜めに流れ駅前交差点から流れて来る用水を踏査しました。
その時には写真をたくさん撮りましたが、当時は「Go!伊勢崎」も開設していなくて、
当時のパソコンやディスクもないので、探し出すのは難しく、記憶の中に残っている程度です。


Re: 壱番街通り整備 - 鳩ぽっぽ 2019/02/28(Thu) 21:35 No.967
丸男さん、しょうちゃん、
今日は伊勢崎駅前のベイシアで買い物をしてたまたま身障者駐車場辺りから南の方向を眺めていたら、このビュースポットが意外とお寺ばかりが目立ついい景観であることに気付きました。
先日、しょうちゃんが言われていた「伊勢崎駅周辺で昔の街道の名残を残してる所」と言ったら、ここなんじゃないかと思った次第です。
左から延命寺本堂。同聚院武家門と本堂、大カヤの大樹。善應寺の雑木林と本堂・・・といった具合にここは京都か鎌倉か?と言っても大袈裟でない壮観な眺めになってます。駅周辺開発で周りのお宅がなくなり、ここに伊勢崎城下寺町の姿があぶりだされたのでしょう。決して乱開発ではなくこうした古い建物と、現代の街づくりが調和共存してゆく姿を見た思いがしました。
また、大樹と雑木林の間には「おなべっ川」の沢が斜面を西に下り、ずっと奥の低地の民家が見えるので奥行きのある景色です。自分が立っているベイシア駐車場と、その辺りの民家の二階が同じくらいの高さになっているのがわかります。
ちなみに私は半世紀前の幼少時、善應寺前の大澤小児科のお得意様でいつも注射を打たれるのが恐怖でした。


Re: 壱番街通り整備 - しょうちゃん 2019/03/01(Fri) 01:48 No.968
鳩ぽっぽさん
大澤小児科懐かしいですね。
猿だったかの小動物がゲージ?オリ?の中で診察室に居た様な・・・
ほぼ間違いなくお尻に注射をされてた記憶が有りますね。
あの並びに有った八百屋は伯父さんの家でした。
そしてその隣の文房具屋の息子は同級生ですよ。
何故か今もポツンと一軒だけ残ってますよね。
伯父さんの家に上がって窓開けると目の前に触れそうな位置に
墓石が有ると言うホラー映画の場面みたいでしたよ。
言われてみると寺院が並んでた気がします。
それと同聚院武家門の東に横堀耳鼻咽喉科が有った様な・・
ここでの診察の後は隣の駄菓子屋で「もんじゃを食べる」が定番だた様な。


Re: 壱番街通り整備 - 鳩ぽっぽ 2019/03/01(Fri) 21:23 No.969
しょうちゃん、ケージの中に猿がいました!ニホンザルですね。小児科診察室に猿がいた理由は今でも謎ですが、受診と注射される子供の気を和ませるためだったんでしょうかね。
子供としては診察室は独特な空気が漂ってました。先生は古い映画に出てくるような眼鏡をかけたいかにもインテリ風の医師で、手書きのカルテはドイツ語の筆記体だったように思います。
私もほぼ間違いなくお尻に注射をされました。2本された時は恐怖でしたね。でも大澤先生のおかげであれから半世紀は生きのびました。
当時の大澤小児科の裏の方は鬱蒼とした森に覆われているイメージがありましたが、今を思えばお墓だったんですね。
善応寺の墓地には八坂用水を開削した小畠武堯の墓所や、国定忠治の愛妾が忠治の片腕をここまで運び今でも小さなお墓が残っているそうですね。


Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/03/02(Sat) 20:23 No.970
しょうちゃんと鳩ぽっぽさんが、駅前の話題で盛り上がっているので、
善応寺とポツンと一軒残された家、撤去工事中の杉原商店の歯像をアップします。


Re: 壱番街通り整備 - 丸男 2019/03/02(Sat) 20:25 No.971
こちらは、ポツンと一軒残された家を西側から。
2つ共、1月31日の状況です。
2月20日時点で、杉原商店の半分は既に撤去されています。
そちらは近々、本ページに掲載します。