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自然系景観資源 投稿者:鳩ぽっぽ 投稿日:2014/01/26(Sun) 22:21 No.1002
丸男さん、先日、旧下蓮沼村ご出身の「トクチャンのブログ」を拝見したら、江戸〜明治時代にかけての古い絵図が5点も紹介されていて驚きでした。http://ameblo.jp/tokuchan2001/entry-11749178315.html
Go!いせさきさんの掲示板のこともしっかり書かれてました!
ブログの中でトクチャンが、いっさき弁で語られているように、旧利根川の本流「七分川」の痕跡となっている段差は規模も大きく、ふるさと伊勢崎市の「自然系景観資源」としてもたいへん貴重な景観になっていると思います。
写真は現在、上蓮町〜下蓮町にかけて残るその段差を、下流の国領町方面に向かって撮影したものです。(トクチャンのブログの写真では同じ場所が池になってます。)
国領町のまた先はここから島村へと、天明の浅間山大噴火の時までは利根川本流の流れが続いていたようです。
今年、世界遺産登録が予定されている田島弥平旧宅のある島村の歴史を物語るにも、暴れ川利根川は切っても切れない要素なので、こうした景観がいつまでも存続してほしいものです。
いつか、何らかの理由でブルトーザーで壊されてしまわないうちに、トクチャンも訴えているように隣町、上蓮町の五十嵐市長さんにも早く気が付いてもらわなくては・・・
忠治茶屋で焼きまんじゅうを食べた後は、右赤城と七分川跡を巡れば充実した史跡めぐりにもなりそうです!

添付:1002.jpg (189KB)
Re: 自然系景観資源 - 丸男 2014/01/26(Sun) 23:42 No.1003
鳩ぽっぽ さん、こんばんは(^o^)。
旧利根川の本流「七分川」の痕跡、私も興味ありながら、まだほとんど頭に入っていません(><)。
後で、鳩ぽっぽさんやトクちゃんが掲載してくれた資料をじっくりと拝見して、少しずつ勉強してみます。

ところで、日光例幣使道の話題なんですが、
「日光例幣使道を生かしたまちづくり」と題して講演会が開催されます。
■3月6日(木)、午後6時30〜
■境総合文化センター小ホール
■講師:栗原あきのりさん
平日ですが、時間があったら是非出かけみてください。

チラシ画像を預かっていますので、近日中に本文に掲載します。


Re: 自然系景観資源 - 鳩ぽっぽ 2014/01/28(Tue) 21:23 No.1004
丸男さん、いつもお返事ありがとうございます。
日光例幣使道のいい講演会があるんですね!ぜひ出かけてみたいと思ってます。
かつての例幣使道、上州那波郡(なわごうり)蓮沼村と周辺の村々、ここを流れる旧利根川「七分川」のようすはどんな風景だったのか? 昔、中村敦夫さんが演じた、「木枯らし紋次郎」に出てきたような世界だったのでしょうか・・・
暗中模索、想像を巡らしてましたが、Go!いせさきさんの掲示板を通して丸男さん、トクチャン、にわかTTさん、和@さんたちのご協力のおかげで、航空写真や古地図といった貴重な資料が与えられ、頭の中に江戸時代の風景が鮮やかに拡がってきたような気がします。
以前、丸男さんがUpされた明治の迅速地図をもとにした地図をお借り致します。
こちらの地図で「現在の韮川」と「古い利根川」が現在の国領町の辺りで重なっている箇所は、同じように綺麗な弧を描いているのがおもしろいですね。この辺りでは韮川も立派な川の風格さえもあり、利根川の跡を流れているというのも解るような気がします。
また「現在の韮川」と「上蓮町と下蓮町」の間に毛虫のような細長い崖の印がありますが、恐らくこれも天明の浅間山噴火で絶えてしまった「七分川」の跡ではないかと思います。実際はもっと長いのですが、この地図では崖の印は途中で途切れているので、私が写真を撮ったラインとは微妙に異なる崖かもしれません。
「現在の韮川」と表示されている南側に細長い池があるのも興味をそそります。その池の上(かみ)と下(しも)にも途切れとぎれに非常に細い池が見られるので、これも旧河道跡なのでしょう。
一番大きな池は「沼」と言ってもいいかもしれませんが、このような「長い沼」があったから「長沼」なのではないかと想像しました。その沼は現在どうなっているのか地図を見てみましたが、恐らく現在の細い水路がこの場所と一致しているようでした。
その水路は現在の吉野工業所伊勢崎工場で途切れているようです。
一方、下蓮町と上蓮町(旧下蓮沼村と上蓮沼村)は、もともとは蓮沼村として一緒だったそうです。こちらには文字通りの「蓮沼」があったことと思います。
例幣使道も通る下蓮沼村の集落の方が先にできて、「伊勢崎風土記」によると上蓮沼は江戸時代初期に長沼の名主、I家の御長男、重則氏がここに新田を開発して、最初はこの村の名字はI家一つだったそうです。
現在も上蓮町に「I氏祖先追遠之碑」といった立派な碑が残されています。
I家のルーツはなんと!垂仁天皇の御代皇子の「五十日彦名」に始まり、源頼義、新田義貞といった源氏系武将に仕え、当時の伊勢崎南部を支配していた那波家に仕えていた天正18年、「奥州九戸の戦」に敗れ長沼の地に土着するようになったということです。
長沼村に住み江戸幕府政治下に至ってからは、農耕の業に勤しみ村の名主としても村民の信望は篤かったそうです。
現在の伊勢崎市はその末裔の方が、行政の中心となり立派なお働きをされていることを思うと、まるでアレックス・ヘイリーの小説「ルーツ」の物語のようで素晴らしいです!


Re: 自然系景観資源 - 丸男 2014/01/30(Thu) 08:35 No.1005
鳩ぽっぽ さん、
●現在の韮川が古利根を流れていること、
●暴れ利根川が島村だけじゃなく、下蓮沼村や上蓮沼村付近でも同様だったこと、
●七分川と言う神秘的な感じがする川の存在、
●広瀬川の上蓮沼村付近の蛇行、
●点在していた細長い沼

私は水郷地帯に行ったことはないのですが、当時の蓮沼村付近はそんな感じだったんですかね。
河川改修の方法次第では、上州の水郷”蓮沼”・・・なんてことも実現できたかもですね。