江戸城の石垣 投稿者:鳩ポッポ観光 投稿日:2013/10/04(Fri) 22:55 No.1120 こんばんは。 Go! いせさきさんでは、伊勢崎市に建設される新しい店や駅、施設の最新情報が手に取るようにわかり、いつもありがたく愛読させて頂いてます。 相変わらずその逆を行く? 伊勢崎市の超古い話題で恐縮ですが・・・ 以前、丸男さんと旧碓氷線の眼鏡橋に、深谷のレンガが使われたことでちょっと話題になりましたが、今回はネットで利根川について調べていたら、 かつて上武大橋のたもとにあった平塚河岸から、江戸城築城のための巨石が運ばれたという記事を見つけました。 その巨石はなんと、「上州佐位郡上植木村」の産物というから驚きです! すなわち、現在の鹿島町に「石山」という地帯があったようで、伊勢崎藩時代、そこで大きないい石が採掘されたようです。 江戸城の石材の主な産地は、神奈川県真鶴町で産出された小松石(安山岩)はじめ伊豆地方の石が石垣に多く使用され、他に赤城山麓、瀬戸内地方のものや、 その一部に伊勢崎産の石も使われたということでしょう。 以下、伊勢崎市殖蓮公民館だより20年12月1日号二面より引用させて頂きます。 「前記した巨石の切り出し地については、天文年間に伊勢崎藩からの指示で各村々の産物 ・地形・伝説・事件などの様子を報告するようにとの通達があり、上植木村のことが記 されているこの「書上帳」の中に、現在の鹿島町石山の石は遠く江戸城の石垣用として 運ばれ、利用されたとあります。その石が利根川の平塚河岸より船に積まれて運んだこ とが書いてありますが、その道中は謎になっています。途中の寺蔵という所まで運んだ 時、工事終了の知らせがあり、石を捨て置いたところを「石田」と呼んだと言い、現在 の殖蓮幼稚園のあたりと思われます。その残りの石を正観寺の門のところに運んであり ます。」 Re: 江戸城の石垣 - 丸男 2013/10/04(Fri) 23:55 No.1121
鳩ポッポ観光さん、古い話も大歓迎ですよ。 「Go!いせさき」は 「遺跡と古墳」 「遺産」 「養蚕農家」 「神社仏閣」 「例幣使道」 「伝統行事」 「伊勢崎銘仙」 など、古い時代のカテゴリもたくさんありますから(^o^)。 上植木村で採石場らしき場所ってどの辺なんでしょうね。 江戸城を築城の年代と言うと、太田道灌の築城(1457年)頃? 550余年前と言うと、記録も残っていないでしょうね(ー_ー)。 関係した神社仏閣でも分かれば、ひょっとしたら記録が残っている?無理かな? Re: 江戸城の石垣 - 鳩ポッポ観光 2013/10/05(Sat) 01:36 No.1122 丸男さん、さっそくお返事ありがとうございます。 七重八重の太田道灌、、とてもいい響きですね〜♪ 皇居に残っている道灌堀ですが、現在は樹木で鬱蒼と覆われよく見えませんが、道灌時代はまだ土塁だったようですね。 江戸城が現存するような立派な石垣を持つようになったのは、家康が幕府を開いてから、いわゆる天下普請(てんかぶしん)と言われる江戸幕府が全国の諸大名に命令し 行わせた土木工事が始まってからになるそうです。 ほとんどの石垣は伊豆半島から切り出され船で送られたもののようですが、中には・・・ 幕府の記録「当代記」といった書物に「慶長十三年(1608)、江戸城築城の巨石を、大名に命じて上野国中瀬から船で運んだ」といった記録もあるようです。 慶長十三年(1608)は家康が江戸城の大拡張工事をやっていた最中になりますが、当時、上州にあったという「中瀬河岸」が「平塚河岸」と一致するかどうかは、まだ謎です。 一方、伊勢崎藩が石を採掘したのは上植木村、現在の鹿島町のエリアということでしたが・・・ 特に鹿島町の「石山」という所がどこにあったのか? ネットではなかなか出そうもないですね。 鹿島町も北は間の山橋の辺りから、南は現在の福島病院までで、意外と南北に長いんですね。 こうした時に、図書館なんかに行けば何か分かるかもしれませんね。 Re: 江戸城の石垣 - 丸男 2013/10/05(Sat) 09:15 No.1123 鳩ポッポ観光さん、良く調べましたね(@_@)。 家康の江戸城の大拡張工事(慶長十三年(1608))頃なんですね。 そうするとおよそ400年前になりますね。 ところで、 >上州にあったという「中瀬河岸」が「平塚河岸」と一致するかどうかは についてですが、「中瀬」は今でも深谷市中瀬地区として、残っていますね。 平塚に接した南東側です。県道名(中瀬牧西線)にも残っています。 鹿島町の石山はどこか? - 鳩ポッポ観光 2013/10/05(Sat) 21:06 No.1124 丸男さん、地図をありがとうございます。 そうでした、上武大橋の下流、深谷市側に中瀬という地区がありましたね。気付きませんでした。中瀬河岸はそこにあったに違いないでしょう。 鹿島町の方はその後も色々と漁ってみましたが、今のところ、石が出たような場所は見いだせないですね。 江戸城の石垣の記事が出ていた人のHPに、殖蓮公民館だよりに載ったであろう「石山の石」の写真が出ています。 http://enjoy1.bb-east.ne.jp/~giemon/tonegawa.htm この写真を撮った場所が、鹿島町の「石山」(採掘場所)であるかどうかは不明です。 殖蓮史談会の星野正明先生にお聴きできれば、はっきりわかるのでしょう! あえて、鳩ポッポ観光の超独断と偏見的仮説・・・ 「石山の石」の写真の下にかろうじて「この橋の下流 左岸100メートル」と読める。 「この橋」を仮に間之山橋とすれば、間之山橋から下流、左岸に100メートルの地点に、グーグルマップの画像で「月木以外は出さないで下さい。衛生支部長」といった看板のあるゴミ置き場があり。 そのゴミ置き場の右、約2〜3メートルの所に、なんと「石山」の捨て石らしき残骸を発見! 36.344841,139.203579 こちらをグーグルマップにコピペして読み込ませ、この地点にペグマン(黄色い人形)を立たせてぜひ見回してみてください! ちなみに鹿島町のこの近辺は、華蔵寺公園と粕川を隔てた対岸のエリアですが、「上西根の五輪塔」といった鎌倉時代の宝塔が綺麗な形で残っていたりして、 そこは上植木七屋敷の一つと言われる三蔵院屋敷跡と伝えられ、「石山」と直接関係があるかどうかわかりませんが、付近からは凝灰岩製の石塔、宝塔等の残欠が多数、 散見されたということでした。 Re: 江戸城の石垣 - Maro 2013/10/06(Sun) 19:37 No.1125 そういえば、坂東大橋石山線という道路がありますね。 場所的にこの石山の事を指すのでしょうか? 字名としては有名な場所なのかな? Re: 江戸城の石垣 - 鳩ポッポ観光 2013/10/06(Sun) 22:43 No.1126 Maroさん、ご質問ありがとうございます(^o^)。 伊勢崎市で「石山」と言えば、通常は、坂東大橋石山線をずっと北上した所にある「石山観音」や「石山霊園」のある「石山」ですね。 ネットで検索すると、ほぼこちらの「石山」の関係が出てきます。 Go!伊勢崎さんでも、こちらで詳しく紹介されてました。http://www.go-isesaki.com/shr_ishiyama.htm 今回、江戸城石垣用の石が産出されたという「石山」はこことは異なるまったく無名の場所であり、現地に「石山」という地名も残ってません。 江戸時代の「書上帳」といった古文書に「上州佐位郡上植木村の石山」と記されているようです。 そこは現在の華蔵寺公園付近にある鹿島町にあたりますが、鹿島町の何処にあったのかも全く見当がつかず、「幻の石山」と言っていいでしょう。 超マイナーレベルの話題ですが、関心を持って頂いて嬉しいです! Re: 江戸城の石垣 - Maro 2013/10/06(Sun) 23:53 No.1127 なるほど、それとは別の場所なのですね。 しかし、伊勢崎からも江戸城の石垣とは驚きです。 利根川の水運の歴史含めて興味深いですね。 Re: 江戸城の石垣 - 丸男 2013/10/07(Mon) 08:47 No.1128 鳩ポッポ観光さん、間之山橋下流左岸のグーグルストリートビューにも写っているその石、 粕川サイクリングロードは度々走るので、良く知ってます(^o^)。 いつ頃からあったのか記憶にハッキリしませんが。 今後、あの辺で大きな石がゴロゴロしていたら、気にしておきますね。 Re: 江戸城の石垣 - にわかTT 2013/10/09(Wed) 22:01 No.1136 鳩ポッポ観光さんこんにちは。 割り込みすみません。 鹿島町ではありませんが石山がありました。 三郷2号公園周辺を旧字名で石山と言ってた様です。 今年の4/12付け、丸男さんのレポートで記念碑の碑文が読めますのでご覧いただければと思います。 ここ以外にも石山があったかもしれませんが、ここも有力な候補の様な気がします。 石山は何処?=邪馬台国論争のように発展するのか?? 地元有識者はご存知なのかも知れませんが・・・。 Re: 江戸城の石垣 - 丸男 2013/10/09(Wed) 22:43 No.1137 にわかTT さん、 三郷2号公園周辺を旧字名で石山と呼んでたことが記念碑に書かれていた事、 桜ばっかりに注目して紹介していたので、全く覚えていませんでした(ー_ー)。 オリジナル画像の方が多少読み易いかと思ったので、ここに載せます。 1行目にしっかりと「石山」と書いてありますね。 それにしても、良く見つけてくれましたね、驚きです(@_@)。 Re: 江戸城の石垣 - 鳩ポッポ観光 2013/10/10(Thu) 19:08 No.1138 にわかTTさん、丸男さん、 貴重な情報、ありがとうございます。 石山観音、鹿島町石山、、そして「第3の石山」の登場に驚きました! オリジナル画像をご用意頂いて、記念碑の文字もよく読めました。 「南に赤坂 西に一丁田 東に諏訪安山岩の備足山を背後に・・・」とありますように、この辺りにも赤城山の泥流丘、流れ山でしょうか、確かに山があったんですね〜。 江戸城の石垣の大部分は伊豆地方産の安山岩だということですが、「備足山」なる山、こちらも安山岩が採石されていたようで、またまた、諏訪安山岩とは鉄平石とも呼ばれ、 庭園の敷石や飛石に重宝されたいい石ときているから、、かなり有力候補になりますね☆ 「赤坂」と言えば、丸男さん設計の「平成赤坂アーチ橋」のある辺りでしょうかね。 また、「伊勢崎 一丁田」で検索したら、やはりGo!伊勢崎さんの記事で「壱丁田公園」というのが引っかかりました! 現代の地図上からは消滅してしまった古い地名や字名を、名残りとして橋の名前や公園名に反映していて、この辺も本当にいいことをされていると思います。 八坂用水、赤坂、一丁田、備足山に東西南北囲まれた肥沃なる農地=三郷第二土地区画という位置関係からして、「第3の石山」と予想される備足山は、 現在の太田町北東部、末広町、堤下町辺りに位置していたのでしょうか? 或いは、もうちょっと東に行って、粕川を越えれば鹿島町なのですが・・・ 「石山 三郷説」vs「石山 鹿島説」のどちらに軍配があがるのでしょうか?? ますます、目が離せませんね! それにしても、江戸城の石垣に伊勢崎産の石が使われていたのも意外でしたが・・・ 去年の12月から今年にかけて何と言っても、伊勢崎の地から東京スカイツリー&富士山が見えた!というのが最高に素晴らしく、、 にわかTTさん、丸男さんたちの世紀の大発見でしたね!! |
・画像は管理者が許可するまで「COMING SOON」のアイコンが表示されます。