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煉瓦隧道 投稿者:あおば 投稿日:2015/02/14(Sat) 14:34 No.2133
丸男さん、しばらくです(*^^)v
徳江製糸所の煉瓦隧道いいですね〜。実は、私がこの場所を知ったのは、2013年の3月です。
たまたま自転車で走ってて、このすぐ近くのお宅がとても雰囲気のある感じで、門の前に家の方が
いらしたので「ステキなお庭ですね」と言って声をかけると、「良かったら中へどうぞ」と言って
くださり、中に入ると軽井沢に来たような、雑木林に囲まれてとても気持ちの良い空間で、
すっかり気に入りました。写真も撮らせてもらい、その後、椿・梅・桜・蝋梅・マンサク・
ハクモクレン・ボケ・ハナズオウ・藤・かりんの花・牡丹などなど季節ごとに伺い楽しませて
いただきました。
この時近くを散策してこの「煉瓦隧道」を発見。すぐ思ったのは、どうしてこの場所にと
不思議でした。その後も何度も見に行き、つい最近も又行って来ました。
このサイトで、このお宅が「避病院」のあと地に建てられたと知り、驚きました。
本当に歴史を感じますね。
Re: 煉瓦隧道 - 丸男 2015/02/14(Sat) 17:56 No.2135
あおば さん、お久しぶりです。
徳江製糸所の煉瓦隧道、訪れてたんですね。
>このすぐ近くのお宅がとても雰囲気のある感じで・・・
ひょっとしてトンネルの北方の坂道をグルリと回る所にあるお宅でしょうか?
そのお宅とすれば、私も通る度に「どんな方が住んでいるんだろうか?」と羨望の気持ちで通り過ぎます。
あおばさんが仰るように、軽井沢の別荘地のようで、
市中に近距離なのに、別世界が広がっている感じです。
屋敷周りの木々の風景がいい感じで、
広瀬川の右岸側を走っている時に、赤城山を背景に時々写真を撮ります。


Re: 煉瓦隧道 - 丸男 2015/02/14(Sat) 18:11 No.2136
写真を探しましたが、キクイモが主役ですが、こんなのが出てきました。
紅葉時期に撮ったのもあったはずなんですが、見つかりません(^^;)。
この写真の右側の林の大半がこちらのお宅の樹木です。


Re: 煉瓦隧道 - あおば 2015/02/14(Sat) 19:51 No.2137
丸男さん、ひょっとして、ひょっとです(@_@;)(^^♪
そのお家です。桜の時期は、坂の所に枝が垂れ下がり、それは綺麗ですよ。
1千坪もあるとの事で、門からイチョウの木が両側にあり、庭に入ると大木のプラタナスなどが
何本もあり、夏は涼しくて、エアコンは不要とのお話でした。木道を歩いて家の中に入るように
なってます。このステキな庭を見ながら食事をしたり、お茶を飲んだりと本当に羨ましい限りです。
私も何回か、写真を撮りに伺う内に、親しくさせていただき、その都度お茶の接待にあずかり、
幸せです。普段は木に覆われて見えませんが、冬になり葉が落ちると、洋館のお洒落な家が右岸側の
サイクリングロードからも見えますよね。土地は、同聚院の土地と言う話しでした。


Re: 煉瓦隧道 - 丸男 2015/02/14(Sat) 21:57 No.2139
あ、やっぱり。
門のイチョウの木、以前「紅葉・イチョウ」のページで掲載させていただきました。
自宅の庭で春夏秋冬の自然の風情を楽しめること、本当に素晴らしいです。
あおばさん、いい方とお友達になれて、良かったですね。(^o^)
春の桜、覚えてられたら、今年の桜シーズンに訪れてみます。└(^o^)┐


Re: 煉瓦隧道 - 鳩ぽっぽ 2015/02/16(Mon) 22:20 No.2144
丸男さん、あおばさん、こんにちは。
私が子供だった頃の昭和40年代、児童公園の北は赤い屋根の老人ホームでした。公園から道路を隔てた所に、なぜか崖上の庭に通うじる階段とそれに沿って滑り台がありました。現在は素敵な個人様邸ですが、その階段と滑り台は現在も残っていると思います。
ある日、それが子供ながらにとても興味深く階段を上った途端、目の前の庭の藤椅子に坐った綺麗なお婆様と目が合ってしまい、そのまま後ずさりして階段を下りたような記憶があります。(汗)
いまでもこの辺りは、さながら堀辰雄の「美しい村」の世界のようで憧れです。

そこは老人ホームの前、明治時代は避病院だったのでしょう。因みにその裏、現在の県営住宅2棟の土地は一段低くなっていて、戦前は「小池」と呼ばれる沼でした。
その辺りは「おなべっ川」も流れこむ窪地になっていて、同聚院の墓地に行っても西方面の墓地が途中からなだらかなスロープで低くなっているのがよく解ります。
現在の同聚院の境内のほとんどは、中世の城館であった赤石城だった様子でかつては「赤石山同聚院」とも称していたようです。
またまた同聚院について、あおばさんがおっしゃっていたことを裏付ける面白いことが郷土史の本に書かれてましたが、中世の時代、同聚院はなんとその窪地の奥辺り、県営住宅付近にあったようです。
でも、お寺が建つ場所は低い所よりもどちらかと言えば高い土地でしょうから、ひょっとして元の老人ホームの所が?・・・なんて勝手に想像しちゃってます。

http://www.go-isesaki.com/shr_douju.htm
こちらに同聚院について、Go!伊勢崎さんでご紹介されてますが、「創建は平治元年(1159年)、領主である三浦之介義明(みうらのすけよしあき、源頼朝の家臣)が赤石左衛門の菩提を弔うために開いたと伝えられています。」
現在の同聚院の場所は、有名な武家門も残されているように初代伊勢崎藩主・稲垣長茂が最初に館を構え旧陣屋を置いた所で、従って長茂が伊勢崎に入った1601年頃の同聚院は、まだ奥の県営住宅の辺りにあったものと思われます。
現在の北小付近に新しい陣屋が完成後、長茂の館は同聚院に引き継がれたということでした。
まあ、ご住職さんにお聞きすればすぐに解るお話でしょうが・・私の話はいつも推定も含まれてますので、違っていたらすみません。(汗)
丸男さんのお写真にありますように、来月は同聚院のヒカンザクラ(緋寒桜)が咲くと濃いピンクのお花が綺麗でしょうね!


Re: 煉瓦隧道 - あおば 2015/02/17(Tue) 13:50 No.2145
鳩ぽっぽさん、こんにちは(^_-)-☆
崖の上の庭に通じる階段と滑り台、今も健在です。私もすごく気になって、この家の人に
聞きましたら、(以前、老人ホームだと聞いてるので、何かあった時の避難用ですかね)と、
おっしゃてましたが、それ以前の「避病院」の時代からでしょうか?
私もこの階段、上がってみましたよ。

同聚院の枝垂れ桜、初めて見たのは偶然にも丸男さんと同じで、2012年4月でした。
駅のホームからピンクの塊が見えて、あれが何だか気になり、帰りに見に寄って、
桜だったんだと分かり感激しました。一本ですけど見ごたえ十分です。
楽しみにしていたヒカンザクラは、去年見に行きましたが、駄目でしたよ。
どうしたことか、枯れてしまったのでしょうか?


Re: 煉瓦隧道 - 鳩ぽっぽ 2015/02/17(Tue) 23:58 No.2146
あおばさん、お返事ありがとうございます。
おかげさまで子供の頃から謎だった、「階段と滑り台」の謎がやっと解けました。
これは老人ホームができた時、(或いはもっと遡って避病院??)非常時の避難用に設置したものに違いないでしょう!
最初はお年寄りが一人でこの急な滑り台は無理!と思ってましたが・・ネットを検索したら、介護施設や幼稚園、病院の建物等に設置する避難用滑り台の業者も色々ありました。
介護の必要な方が避難する際は滑り台に沿って横に階段があるから、介護職員さんに援助されながら安心して滑ることができるということでした。こちらは階段の外側にはしっかりした白いフェンスと手すりも付いているから、職員さんも安全ですね!

子供の頃、児童公園の目の前に素晴らしい滑り台があったものだから、興味津々、子供ながら「あそこで遊んでいいのかな〜」なんて思って階段を上まで上がってしまったわけです。(汗。)
あれから40年、、謎も解けてスッキリしました。ヽ(^o^)丿
徳江製糸所の煉瓦隧道とともに、こちらも元・老人ホームの貴重な遺構ですね。
個人様のお宅のことを巡っていろいろとすみません。あおばさんが今度、お会いした際はどうぞよろしくお伝えください。m(_ _)m


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