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「徳江製糸所の煉瓦隧道」 投稿者:鳩ぽっぽ 投稿日:2015/02/13(Fri) 21:33 No.2132
丸男さん、「徳江製糸所の煉瓦隧道」の素敵な記事を拝見しました。
70年代の子供の頃は自転車でこのトンネルを通らせて頂いて、崖下の児童公園やタネンブチの方に遊びにいった思い出があります。
まさに知る人ぞ知る謎の隧道で、伊勢崎町の近代化遺産、徳江製糸所の貴重な痕跡だと知っている人は余程の事情通か、かなりの郷土史マニアックな人ですね!
最近は「伊勢崎城、最後の遺構」の現地調査に行った際、たまたまトンネル出口の真上にいる自分に気づきました。。(汗)私有地でしょうから、余りトンネルには近寄れないような空気でした。
県のサイトでは隧道とともに、「この階段の上には社員食堂があり、その下には石炭置き場があったという。現在は、使用されていない。」といった階段跡も残されているようですね。

画像は「ふるさとの想い出写真集・伊勢崎」からのもので、徳江製糸工場内の様子です。これを見ただけでも富岡の世界遺産!を思わせるような光景です。現在の東毛漁業協同組合の池の辺りが当時の工場跡地だったと言われてますね。
またまた、丸男さん撮影の煉瓦隧道のお写真は眺めているとタイムスリップして・・崖上の寄宿舎から工場まで、毎日この隧道を通って働いていた可愛らしい工女たちの歌声♪が聴こえてきそうです。
寄宿舎は「徳江製糸所の丸窓」と言われ、三角屋根の下に丸い窓が三つ横に並んだハイカラな建物でした。その丸窓が夕暮れの広瀬川の川面に映った光景もまたロマンチックで、中で暮らしている工女たちに思いをはせる、当時のいっさきの若人達にとっては憧憬だったそうです。
一方で富岡と同じように、遠い地方から希望にあふれて伊勢崎町に就職してきた工女たちでしたが、異国の地で切なく無念の死を遂げた者もあったようです。
彼女たちのお墓は三ツ家橋の袂を西に下った墓地の中に、現在も明治25年から39年に亡くなられた10基のお墓が並んでいるそうです。

ちなみに、徳江八郎氏は1870年(明治3年)に民部省を通して富岡に赴き、尾高惇忠、ポール・ブリュナに面談し製糸場の利害について論したようです。明治6年には伊勢崎町において近代製糸企業の草分けとなる共研社の設立しているので、それは富岡製糸場創業の翌年という個人としてはかなり早い時期に始めてますね。最初に徳江八郎氏が工場を始めたのは、たまたま先日の桐生新町道のスタート地点とした付近でしたが、あいにくそこは火災に見舞われてしまったようです。
しかし明治12年には広瀬川畔に新工場を建て、それはしだいに大規模化していって彼の情熱と不屈の精神は伊勢崎町の工業近代化を邁進させていったのでしょう。

添付:2132.jpg (195KB)
Re: 「徳江製糸所の煉瓦隧道」 - 丸男 2015/02/14(Sat) 17:40 No.2134
鳩ぽっぽ さん、徳江製糸場の貴重な写真のアップ、ありがとうございます。
あのトンネルを通って広瀬川へ遊びに行った子どもの頃のこと、楽しく懐かしい想い出ですね。
工場は消え去りましたが、当時ここに徳江製糸があったことを伝える貴重な建造物、
あのトンネルをくぐって、広瀬川緑歩道をつなぐ遊歩道でも整備されるといいのですが。


Re: 「徳江製糸所の煉瓦隧道」 - 鳩ぽっぽ 2015/02/25(Wed) 22:37 No.2152
丸男さん、善應寺の小畠武堯の墓がGo!伊勢崎さんで紹介されて良かったです!
私は先月に同聚院側からおなべっ川を挟み、高い崖上にあるその辺りを眺めてました。
最近は三ツ家橋袂を西に下った墓地の中にある、徳江製糸所の工女たちの墓に行ってみました。
辛抱地蔵という新しいお地蔵さんの横に、古いお墓で徳江製糸工女、春子の墓、元子の墓、節子の墓はじめ、明治半ば頃に亡くなられたという10人の工女たちが眠っています。
かつての伊勢崎の町でも、富岡製糸のように工女たちが働いていたことが実感でき感動がありました。同時に、異国の地で若くして亡くなり故郷にも帰れなかった、彼女たちの無念さもこみ上げてきます。(泣)
もしまだお出掛けでなかったなら、ぜひぜひ彼女たちを訪ねてやってください。
この墓地は昔はかなり荒廃してましたが、この付近は何年か前に盛土されて一段高い素敵な住宅地になってしまいました。それに伴い墓地も綺麗にしたものと思われます。
図書館方面から歩いたら広瀬川緑歩道を確か、うぬき公園まで通しで行けたでしょうか?そのお散歩途中にあるいい場所です。できれば煉瓦隧道もお散歩コースに入れられたらバッチリですね!

余談ですが、この墓地の崖上、ハローワークの駐車場西辺りはかつて「薬師山」と呼ばれてましたが、ハローワークの奥の方の駐車場の隣にどちらかのお宅の墓所があります。画像の迅速側図によるとその辺りが昔の薬師堂の跡地のようです。
しかし、先日その墓所脇の小道を更に西に向かった所に、なんとお堂がありました。お堂にはかなり草書体で「堂師薬」とあるようにも見えますが、私は書道はわからないのではっきり特定できません。
何のお堂なのかは調査中です。


Re: 「徳江製糸所の煉瓦隧道」 - 丸男 2015/02/26(Thu) 09:33 No.2153
鳩ぽっぽさん、徳江製糸の工女の墓ですが、場所は知っているのですが、お墓参りをしたことはありません。

広瀬川緑歩道から「うぬき公園」までつながるラブリバーのコースは、あの辺を移動するときに利用しています。
菜の花、ハナダイコンソウ、ユキヤナギ、左岸側の木立ち、センダン、ヒガンバナ・・・「Go!伊勢崎」に何度も登場していただいています(^o^)。

お墓の西側は、現在は高く盛り土して宅地造成され、住宅が建っていますが、
それ以前は、葦が茂る人気のない場所で、中古車を取り扱った?物騒な小屋(店?)がありましたね。

今は更に平釜川合流部の西側も新たに宅地造成が進み、家が建ち始めていて、昔の雰囲気はなくなりました。

更に西方には果樹園があって、たまに東京方面の車が停まっているのを見かけます。
手入れをしている人の車なのでしょうかね?さしずめ、週末農園でしょうか。

今は更に、三ツ家橋の北詰の道路脇も盛土が進んで、某不動産屋さんの看板が立ちましたね。
お墓が高盛土の狭間に隠れて益々見えなくなります。
ここ十年ほどで、大きく変わりました。


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