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岩神遺跡 投稿者:たこすみ 投稿日:2021/05/06(Thu) 20:12 No.2822
歴史的農業景観閲覧システムが公開している明治時代初期に作成された迅速測図 右側は地理院地図 同じ場所を表示している

岩神の遺跡が以前から気になっています
Re: 岩神遺跡 - たこすみ 2021/05/06(Thu) 20:25 No.2823
画像添付しくじりました

Re: 岩神遺跡 - たこすみ 2021/05/06(Thu) 20:27 No.2824

女堀ではないかと疑っているのですが 上泉の女堀まで4,9km 途中には遺跡も痕跡もありません


Re: 岩神遺跡 - たこすみ 2021/05/06(Thu) 20:28 No.2825

地図をもう一度眺めていると 岩神遺跡の東に桃ノ木川が狙ったような位置に流れています
この地図 等高線が点線で描かれています それから想像するに岩神遺跡から桃ノ木川まで下り勾配のようです
前の図を見てください
桃ノ木川に流せば自然にできた堀のようです

ショートカットを狙ったのが岩神遺跡というのはありえるでしょうか?
わたしの夢想のような気もするのですが

もし使えるようでしたらあの画像処理能力で記事にしてみてください


Re: 岩神遺跡 - 丸男 2021/05/06(Thu) 21:25 No.2827
たこすみさん、その考え、あり得そうですね。
今までは、取水部は上泉町の桃ノ木川と藤沢川の合流地点付近とするのが有力視されているようですが、
岩神付近で利根川から取水し、その水を桃ノ木川へ流せば、より多くの水量を流せますね。
女堀の法線(向き)とその個所の桃ノ木川の法線も一致するし。

岩神遺跡について詳しく知らないので、そちらから勉強してみます。


Re: 岩神遺跡 - たこすみ 2021/05/07(Fri) 08:58 No.2828
地図で利根川の西にある堀が石倉城址 東の県庁が厩橋城(前橋城)広瀬川は右上を流れている 

前橋城 城の起源については諸説あるが 石倉城がその始まりであるとされる。
伝承では、石倉城築城時に低地帯を台地の東に流れていた利根川の本流が、天文3年(1534年)の氾濫により流路を変え石倉城の水路に流れ込み、本丸・二ノ丸などを崩壊させてしまった。 当時の城主長野賢忠(長野方業、法号・固山宗賢)が残った三の丸を拠り所に再築した城が、後に厩橋城と呼ばれるようになったという
ウイキペディア


Re: 岩神遺跡 - たこすみ 2021/05/07(Fri) 09:00 No.2829
図は変流直前の河道
今の利根川は図では ア〜イの点線そして吉岡川

前橋台地の利根川 その2−群馬県立自然史博物館 というサイトの記事 です

(1)利根川変流時代の諸説
@応永年中(1394-1428)−富田長世「上野名跡史」嘉永6年(1853)
A嘉元元年(1303)−関重嶷「伊勢崎風土記」寛政10年(1798)
B享禄・天文−「上毛伝説雑記」安永3年(1774)集録
C天文8年(1539)又は天文12年(1543)−栗原良輔「利根川治水史」昭和18年
D室町期13世紀初期から14世紀中期の150年の間、変更の完成期はおおよそ15世紀末−峰岸純夫(1959)
E応永〜天文−「前橋市史第1巻」昭和46年


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