伊勢崎と日露戦争 投稿者:春松 投稿日:2011/12/11(Sun) 16:57 No.1368 丸男さん、こんばんは。 NHKドラマ「坂の上の雲」3部作、今年はいよいよ完結編で、、今夜は(NHK総合7時30分〜)ついに「203高地」に突入です! 先週の「旅順総攻撃」では2万人以上の死傷者を出すという壮絶な敗北で、乃木希典(のぎ まれすけ)将軍の苦悩する様がよく描かれてました。 伊勢崎市内にある神社の境内でも、「日露戦争戦没者紀念碑」をよく見かけます。 写真は宮前町の下植木赤城神社に建つもので、「希典書」とあるように、乃木将軍の手になる書を石工さんが彫ったものなのでしょう。 私の地元では、ここ下植木はじめ、今泉、茂呂、、決まって神社に碑があり、碑の裏側には従軍者たちの名前が刻まれています。 各集落で従軍者が各30名くらいでしょうか、、内、3〜4名の戦死者を出しています。 日露戦争に伊勢崎からも、前途有望な多くの若人たちが出征して、、旅順、203高地、満州、或いは日本海に尊い血を流したことを知ると、 「坂の上の雲」の出来事が人ごとではないように思えてきます。 乃木将軍といえば、実は伊勢崎人にとってもなじみ深い人で、、日露戦争後は学習院の院長に就かれていた時代に、伊勢崎絣を高く評価し、 学校着に採用したというエピソードもありました。 その後、伊勢崎絣は伊勢崎銘仙と呼ばれるまでに成長してゆくことになります。 明治天皇崩御後、大喪の日の夜に夫人とともに自刃して最期を遂げ、国民に衝撃を与えたのは有名ですね。 東京の乃木坂は、付近に乃木将軍の邸宅があったことからそう呼ばれるようになったようです。 今日の午後、実は丸男さんちの方も周って最寄りの神社を探してみたのですが・・・ちょっとわからなかったです〜^ ^; でも、昔から知っていた集落のお墓のある所には、三人の軍人の方のお墓が並び、後ろの方に「義人、K 玄番の墓」なる、貴重なお墓を発見できてよかったです! 添付:1368.jpg (130KB) Re: 伊勢崎と日露戦争 - 丸男 2011/12/12(Mon) 00:23 No.1369
春松さん、偶然です。 今日、昭和町辺りをサイクリングしていて、 赤城神社の黄葉があまりに綺麗だったので、ちょっと寄ってみました。 Re: 伊勢崎と日露戦争 - 丸男 2011/12/12(Mon) 00:26 No.1370 市内の神社には日露戦争の戦没者の慰霊碑って何ヶ所か建ってますね。 全国的に建てたのでしょうかね。 Re: 伊勢崎と日露戦争 - 丸男 2011/12/12(Mon) 00:27 No.1371 今日は社務所に集まりがあったようで、 神社の境内が綺麗に掃除されていました。 Re: 伊勢崎と日露戦争 - 春松 2011/12/12(Mon) 19:48 No.1372 あれれ、丸男さん、またまた奇遇ですね〜。 私は昨日の日曜日は、教会でランチを取った後、明治の記念碑めぐりに出かけました。 クリスチャンが教会の後に神社というのも何ですが、史跡巡りが趣味だとこういうこともありです。^ ^; 赤城神社に居たのはPM1時前後だったように思います。やはりまず目に入ったのは綺麗なイチョウの黄葉でした! 確かに社務所では何かの集まりをやってましたね〜。 この辺り、昭和町には昔、紺屋をやっていた、おばあちゃんちがあったので、私のゆかりの地でもあります。 丸男さんの写真を拝見して、、昨日見たのとまったく同じ光景なので何だか不思議な気分です。 写真の影の角度から言って、PM2時頃の撮影でしょうか?? 「類は友を呼ぶ」というのは本当ですね!! 「日露戦没紀念碑」は市内の神社、俗に言う村の鎮守に行くとよく目にしますね。 日露戦争では戦死者の数も激増し国家意識の高まりとともに、従軍者、戦死者を郷土の誇りとしようといった気運の中、民間の有志等によって全国的に記念碑がぞくぞくと建てられるようになったそうです。 特に乃木将軍おいては、多くの兵を犠牲にしてしまったことで自責の念が強く、時間があれば戦死者の遺族を訪問したり、負傷者へも手厚い配慮があったようです。 そういった部下に対する責任、思いやりは本当に見習うものがあります。 Re: 伊勢崎と日露戦争 - 丸男 2011/12/12(Mon) 21:25 No.1373 春松さん、鋭い!(@_@)/ 画像の時間を確認したら13時35分でした。 それにしてもまたまた偶然でしたね。 後30分ずれていればバッタリと会った訳ですね。 ここの赤城神社の写真、既に3年前に撮っているのですが なかなか記事のページの編集に取りかからずに月日が経ってます。 取りかかれば一晩なんですが・・・(^^;) 「日露戦没紀念碑」のある神社一覧・・・と言うまとめ方も意義がありそうですね。 伊勢崎絣のルーツ! - 春松 2011/12/13(Tue) 19:32 No.1374 丸男さん、こんばんは。 ニアミス! ウーん、、惜しかったです〜。 でも、イベントとかやってもいないこんな所で、もしもばったり行き会ってたら奇跡に等しいですね! 下植木赤城神社といえば、、郷土史愛好家にとっては県の重要文化財にも指定されている「石造美術群」が知られてますね。 ここの多宝塔などの石造物に刻まれた文字の中に「秦氏」(はたし)といった、古代、日本に大陸から文化を伝えた渡来人の名が見られるようです。 子供の頃、伯母が自宅に小さな織機を置いて、機織りのアルバイトをしてました。 伊勢崎では昔、織機のことを何故か「はたし」と呼んでいたそうです。 そういえば、伯母も「もうじき、はたしまわりが来るから、もうちょっと織っとかなくちゃ〜。」なんて、 日常会話の中に「はたし」という言葉がありました。 (「はたしまわり」とは民家や農家で機織りをしている人の所を周るおじさんのことでしょう。) これは先月、「伊勢崎の太織展」で知ったのですが、古来、伊勢崎に養蚕、機織りの技術を伝えたという「秦氏」に敬意を払い、 織機のことを「はたし」と呼ぶようになったということでした。 子供の頃、何気に聞いていて、忘れられた言葉(今では死語?)でしたが、今となって謎が解け、、ナ〜ルホド〜と思いました。 Re: 伊勢崎と日露戦争 - 丸男 2011/12/13(Tue) 21:51 No.1375 ホント、神社でニアミスとは、驚きです! 県の重要文化財指定の「石造美術群」・・・3年前に撮った写真がありました。 小屋の中に納まっているので、個々の写真を撮れなかったのですが。 Re: 伊勢崎と日露戦争 - 丸男 2011/12/13(Tue) 21:56 No.1376 小屋の前に立つ案内板の説明の末尾部に 「秦氏」のことが説明されていました。 一番古い宝塔が1351年(観応二年)とのこと。 660年の時を刻む宝塔があること、写真を撮っていたのに今まで認識していませんでした(^^;)。 遠からず編集しなくっちゃね。 |
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