三室神社〜上毛野氏のロマン 投稿者:鳩ぽっぽ 投稿日:2016/01/21(Thu) 21:53 No.1408 丸男さん、三室神社の記事を拝見しました! 昔は「奥の宮大明神」と言われてたんですね〜。 そして、「奥の宮大明神」をこの地に祀ったと言われる人物=御諸別王(みもろわけおう)。 由緒に書かれている「上毛野氏」の系譜は、崇神天皇 - 豊城入彦命 - (八綱田・やつなた) - 彦狭島王 - 御諸別王ということですね。 意外だったのはウィキの考証では、豊城入彦命の代では都から東国にはまだ来てない様子で、実際に東国に派遣されたのは彦狭島王からのようです。 しかし彦狭島王は東山道十五国都督(ととく)に任じられるも途上で病死してしまうので、都督として東国統治を始めたのは父の仕事を引き継いだ 御諸別王だったんですね! 「三室」の地名は、三室神社周辺を開拓したのが御諸別王(みもろわけおう)だったから、ミモロ〜ミムロになったことが解りました! (「上毛野氏」のふるさと奈良桜井市にもヤマト政権初期の王朝のあった御諸山(三輪山)という山があり「神の宿る山」という意味だそうです。その山麓にはなんと、卑弥呼の墓と思われる古墳や上毛野氏のルーツ・崇神天皇陵とされる古墳もあるそうです!) 一方で、三室町由来記の石碑によると、「三室」の地名は上野國佐位郡の郷である「美侶郷」(みろごう)に由来するとありますね。 「美侶郷」は美茂呂町という地名もある茂呂地区だけでなかったようです。 伊勢崎東流通団地遺跡が三室にあるので、この遺跡を古代の美侶郷と考えている説があるようです。伊勢崎東流通団地遺跡はかつて小川の流れる帯状の沖積低地を水田として、その両岸に集落が形成された遺跡でした。 またまた、この遺跡の上(かみ)の方に権現山があり、古くから豊城入彦命(御諸別王の祖先)の墳墓という言い伝えがあり、これが「豊城町」の名のルーツになっているのも面白いです! まあ、大室や総社の二子山古墳も豊城入彦命の墓だと言われているのですが・・・。 Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 丸男 2016/01/22(Fri) 23:55 No.1409
鳩ぽっぽさん、こんばんは。 三室周辺の古代史を調べると、色々と面白い発見がありますよね。 地名の由来もさることながら、東山道が通っていたことにも関心があります。 玉村や太田市では太規模な東山道の遺跡が発見されているので、 伊勢崎でもどこかで発見できれば繋がるのですが。 Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 鳩ぽっぽ 2016/01/24(Sun) 21:14 No.1411 丸男さん、お返事を感謝致します。 東山道のお話は、Go!伊勢崎さんの掲示板では遡って2012年1月の今頃、「伊勢崎のコトなら何でも」等でちょっと話題になってますね。 更に遡って、2007年の時点ですでに丸男さんが「北関東自動車道と上武道路や国道462号が交わる交差点が三和町であることと、東山道の「佐位駅」が三和町近辺であると推定されること、このことが何とも言えず不思議な一致です。」という大発見をしてました! では「佐位駅は、三和町のどの辺にあったのでしょうか?」といった疑問が投げかけられスレは終わっていたようです。 今回、またちょっと調べてみて、「上野国府とその付近の東山道、および群馬、佐位駅家について」(金沢清則先生著)といったPDF文書と出会いました。 画像はそのPDF文書からコピーさせて頂いたものです。 こちらの地図によると、西からきた東山道は粕川を横断し上植木に入って、光仙房の北〜酒盛と火生石の小字界(見えにくいのですがグレーになっている部分)〜壱里塚と舞台の小字界〜大井戸〜下植木の書上に入ってます。 また本文によると、佐位駅は「酒盛、火生石(ひいけいし)、舞台の付近に比定される」そうです!(緑で囲んだエリア) この地区に該当するのは、やはり伊勢崎インター、書上浄水所辺りでしょうか? 「酒盛」といった小字名は、意外と千葉精工さん西辺りに現在も残っているんですね〜。 それにしても、伊勢崎インターの所に佐位駅があったとなると、丸男さんのご推定通り、現代と古代で何とも言えず不思議な一致ですね〜!! Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 丸男 2016/01/24(Sun) 23:06 No.1412 鳩ぽっぽ さん、こんばんは。 貴重な文書が見つかりましたね。 紹介いただいた図面を見ると、現在でも位置を特定できる場所が何ヶ所かあるので、 この資料が信頼できるならば、粕川から「六道の辻」までのルートは特定できますね。 取りあえず、現在でも位置を特定できる場所に色付けしてみました。 ・新沼 ・鯉沼 ・掛屋清水(現地に標識が立っています) ・酒盛(酒盛り地蔵が今も祀られています) ・男井戸(上書公園の湧水池と思います) Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 鳩ぽっぽ 2016/01/25(Mon) 21:35 No.1413 丸男さん、現地との照合、特定、ありがとうございます。 そう言えば、この辺りは義経伝説の地でしたね! 義経が奥州平泉に向かうのに東山道を通っていったと云われているわけで、この地域にこうした伝説が色々と残っているというのも、きっと何かあるんでしょうね。 私はまだ「掛屋清水」と「酒盛り地蔵」には行ったことがないのですが、今度出掛けてみるのが楽しみです♪ 「上野国府とその付近の東山道、および群馬、佐位駅家について」は調べてみると、偉い先生の論文でした。 論文の著者はウィキによると「金坂 清則(かなさか きよのり、1947年5月[1] - )は、日本の地理学者、京都大学名誉教授[2]。おもな研究分野は、都市歴史地理学、地域構造、イザベラ・バード論」ということでした。 イザベラ・バードは明治初期に北海道や東北、関西などを訪ね「Unbeaten Tracks in Japan(日本奥地紀行)」を著したイギリスの女性旅行家で、金坂氏はイザベラ・バード研究の第一人者だそうです。 こちらが論文全体のPDF文書です。よかったら参考にしてください。 http://hist-geo.jp/pdf/archive/kiyou/016_047.pdf#search='%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%81%93+%E6%96%B0%E7%94%B0%E9%A7%85%E5%AE%B6' 佐位駅については24ページ目にありました。 22ページには、前橋の古市辺りから佐位駅辺りまでの推定東山道の地図もあります。 Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 丸男 2016/01/26(Tue) 21:47 No.1414 鳩ぽっぽさん、PDFのURLを教えていただき、ありがとうございます。 早速に印刷しておきました。 この資料によれば酒盛付近に佐位駅があったようですね。 東山道の佐位駅があった場所近くが、 北関東道、上武道路、国道462号(伊勢崎・大間々線)が集まる交通の要衝になっていること、 偶然ではなさそうです。 ただ、東山道は前橋の二之宮から波志江沼の北、五目牛を通る道のようですが、 それをたどる道が残っていないのが残念です。 Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 鳩ぽっぽ 2016/01/27(Wed) 22:22 No.1415 丸男さん、いつもお忙しい中、お返事ありがとうございます。 「五料橋から眺める上州の山々」が雄大で素晴らしいですね! 碓氷峠を越えてアヅマにやってきた奈良の都の人々も、利根川を渡って同じように上州の山々を見渡したんでしょうね〜! またまた、いろいろと資料とか見ていて解ったのですが、、今更ながらすみません上野国内には東山道が2ルートあったんですね!(武蔵路を入れれば3ルートですね) @牛堀〜矢ノ原ルート 野後駅手前から東進して群馬、佐位駅は通らず直接、新田駅に至る。(幅12メートル東西道の検出場所=伊勢崎市境(矢ノ原遺跡)、太田市新田。 年代=7世紀後半開削〜8世紀後半廃絶(され、国府ルートに変更された説あり) A国府ルート 上野国府に隣接して走行。道路幅4.5〜5メートル。検出場所=高崎市〜前橋市 年代=8世紀後半開鑿〜9世紀後半 B東山道武蔵路 新田駅家から武蔵国府(府中市)へ至る。 ・・・ということで、現在の伊勢崎市内では佐位駅(三和町辺り)を通る「国府ルート」と、それより南を通る「牛堀〜矢ノ原ルート」になりますね。 「牛堀〜矢ノ原ルート」を想定してみましたが、玉村北部公園の砂町遺跡〜伊勢崎市境伊与久・十三宝塚遺跡北〜伊勢崎市境東新井・矢ノ原遺跡〜太田市新田大町・東山道公園を直線?で結ぶラインになるでしょうか? 境伊与久の十三宝塚遺跡の北側には、東山道駅路廃止後にその北側溝を利用した灌漑用水路「牛堀」の遺構が東西に走っているそうです。 一方、伊勢崎市内の「国府ルート」の方は、おっしゃる通り道が残ってないようですね。高崎〜前橋方面ではどうも道幅も狭そうだし・・・ この際、やけ起こして、、「女堀は東山道の跡だった!」なんて仮説を立てたらどなたにも相手にされませんかね〜? Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 丸男 2016/01/28(Thu) 09:29 No.1416 鳩ぽっぽさん、東山道のルート、分かり易く整理していただき、ありがとうございます。 そうなんですよね、 玉村北部公園の東山道遺跡は幅も広くて、酒盛り地蔵付近(あずまの「六道の辻」付近)は狭かったようで 幅員には随分と差があったんですね。 「女堀は東山道の跡だった!」と言う仮説、まんざら外れていないと思います。 特に二之宮〜飯土井付近では利用されたような気がします。 飯土井の北辺の東西道路は「東山道」だったらしい・・・と言う話も聞いたことがあります。 http://www.go-isesaki.com/pond_iidoi.htm 東山道は直線的だったと言う話も聞いたことがありますので、 後で、牛堀〜矢ノ原ルートを現在の地図に描いてみたいとも思っています。 Re: 三室神社〜上毛野氏のロマン - 鳩ぽっぽ 2016/01/29(Fri) 22:06 No.1417 丸男さん、毎日お寒うございます。 飯土井沼の記事を拝見しました。そういえば以前も紹介させて頂いたものですが、こんな写真があったのを思い出しました。 https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/19/pdf/19_5_3.pdf#search='%E5%A5%B3%E5%A0%80+%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%81%93' 女堀が蛇行している神沢川を横切り波志江沼に向かっている写真です。現在、この近辺は工業団地で埋め尽くされ、神沢川も真っ直ぐですね。 またまた、「飯土井沼の北辺の東西道路は「東山道」だったらしい」と丸男さんのおっしゃる通り、「この沼に接し女堀と平行して走る細い道が東山道」という説明もありました! 航空写真を見ると道は、畑の中を東に進み(現在の(株)ナカヨ群馬工場辺りで)神沢川を渡って「へ」の字に折れて、リハビリテーションセンター 北の道に続いているようです。だとすると、花菖蒲園と波志江上沼の間の道も、東山道の名残りなのでしょうか? 先日のPDF文書22ページ目の地図を見ても、推定東山道は航空写真とほぼ同じルートを辿り、波志江上沼の所にいっています。 ちなみに地元の方のHPによりますと、飯土井の「一の堰」(神沢川?)にある橋を「あずま橋」、今井町の今井神社前の荒砥川に架けられている橋も「あずま橋」と言い、いずれも「あずまみち」にあるからだそうです。 佐位駅方面では、Googleマップで酒盛地蔵を確認してみました。畑の角にブロックでできた祠の中にあるんですね〜。 酒盛地蔵の入口になる県道伊勢崎大間々線の旧ファミブ(今はGEO赤堀店でしょうか)東の小さな曲がり角には、「古吾妻道(東山道)」といった標柱が今でも残っているようでした。 |