伊勢崎に競馬場があった 投稿者:鳩ぽっぽ 投稿日:2015/04/11(Sat) 18:23 No.1340 丸男さん、波志江町にかつて草競馬場があったということが以前、こちらの掲示板で話題になってましたが・・・ 今の新栄町のど真中にも、昭和5年〜14年まで本格的な「伊勢崎競馬場」がありました! こちらには「競運橋」という名前の橋も残っているし、ご年配の方なら多くの方がご存知だと思います。 昭和14年というのは、国家総動員法を背景にして地方競馬のあり方も見直すという軍馬資源保護法が公布された年で、それに伴い伊勢崎競馬場も惜しくも廃止となったようです。 伊勢崎競馬場は一周1000メートル、幅員21メートルのコースでした。ゴール前にはシンボル棟とも言える洋館で洒落た建物の事務棟、その横に連なって小高く築かれた三か所の馬見所(観戦スタンド)、下見所(パドック)、投票所、厩舎もあってその背後に松の木が生い茂ってました。 これを構想したのは、大伊勢崎計画の中心人物・石川泰三町長の独創性の現れだったようです。 またまた、現在でも航空写真で新栄町を見れば、所々にコースのカーブしていた箇所が道路になって残っているのがはっきりわかります。 添付したグーグルマップの写真は、現在、信号のある新栄町の交差点から東に入った所です。これはコース東南のカーブした部分です。私は馬券も買ったことはないのですが、右回りなら第2コーナーでしょうか。 母が戦後間もなく競馬場跡地で暮らしていたので、子供の頃は新栄町に競馬場があった話はよく聞いてました。それにしても、親戚や友達の家に行くのにいつも通っていたこのカーブが競馬場の痕跡だったとは驚きでした! 添付:1340.jpg (142KB) Re: 伊勢崎に競馬場があった - 鳩ぽっぽ 2015/04/11(Sat) 20:37 No.1341
いつものパターンですが、、国土地理院の昔の航空写真で「伊勢崎競馬場」のあった新栄町周辺を見てみました。 写真は昭和33年(1958年)2月20日、撮影のものです。 今回も順を追って説明させていただきます。 1、旧競運橋。この時点で広瀬川に架かっていた橋は、現在の競運橋よりも40メートル位西に架かってました。現在でも競運橋の北で道が二股になっている所があるのですが、右の細い道の方(伊勢崎市の元ゴミ焼却所があった方)にそれるのがかつての旧道で、その先が旧競運橋でした。 2、伊女(現在の伊勢崎清明高校) 3、南中(現在はここにバイパスが通り、校庭の辺りに市役所があります。) 4、南小学校 5、現在の上泉町南の交差点、松屋のある所。 6、旧伊勢崎競馬場の中枢部、シンボル棟のあった地点。 7、現在、新栄町の交差点がある辺り。競馬場のコースでは東南部のコーナー(前回添付したグーグルマップの写真) 8、こちらの→の内側にもよく見ると、3コーナー〜4コーナーのコースの跡が確認できます! 現在の航空写真ともぜひ見比べてみて下さい。 Re: 伊勢崎に競馬場があった - 丸男 2015/04/12(Sun) 11:08 No.1342 鳩ぽっぽ さん、伊勢崎に競馬場があったこと、私も聞いたことがあります。 もう50年くらい前のことになりますが、跡地に平屋の住宅が碁盤目状にたくさん建っていて、 そこに何度か行ったことがあります。 今はすっかり変わってしまったので、その住宅地の場所を正確には思い出ませんが、 今、4階建ての市営住宅が建ち並んでいる辺りだったように思います。 Re: 伊勢崎に競馬場があった - 鳩ぽっぽ 2015/04/12(Sun) 20:33 No.1343 丸男さん、お返事ありがとうございます。 国土地理院のサイトで昔の茂呂島団地の空中写真を見ると、昭和36年の頃から競運橋の通り(今は「鬼子母神通り」と言うようですね)の東側に住宅団地が建ちはじめてます。 今回、添付させて頂きました国土地理院からの画像は、昭和39年(1964年)5月27日のものです。 おっしゃる通り、競馬場跡地に新しい住宅が碁盤目状にたくさん建ってますね! この時点の空中写真から、競運橋も現在と同じ位置になりました。 1964年はまさに東京オリンピックの年で、茂呂島団地も活況を呈してきたのだと思います。 Re: 伊勢崎に競馬場があった - 丸男 2015/04/12(Sun) 22:35 No.1344 鳩ぽっぽ さん、この写真、良く見つけましたね(@_@;)。 航空写真だとこんな感じだったんですね。 競馬場の形がそのまま分かりますね。 当時は、とにかく同じ形の平屋がずらりと並んでいるので、その光景が不思議でした。 それと、当時は周囲にはほとんど住宅がなかったんですね。 Re: 伊勢崎に競馬場があった - 鳩ぽっぽ 2015/04/14(Tue) 21:18 No.1345 丸男さん、こんな写真も見つけました。昭和13年頃の伊勢崎競馬場の風景です。 (サイト「競馬切手」さんにより紹介された「全国地方競馬場写真帖」の中からお借りしました。) 手前に柵で仕切られたコース。コースの向こう側に高く盛り上がっているスタンドがよく分かります。奥の洋風の洒落た建物は事務所のようですが、競馬場のシンボル棟とも言っていいでしょう。 その右の白い小さな建物は審判所だと思われます。 事務所はコースがよく見渡せる南向きで、現在の位置としては競運橋を渡った所のセブンイレブンから、西に100メートル位の所に建ってました。 伊勢崎競馬場が廃止となった昭和14年以降、戦後は満州から引き揚げて来られた人々の住居として利用されてます。 ここからは余談ですが・・・実は私の母もその中の一人で、子供の頃から結婚するまでずっとこの三階建ての建物でお世話になってました。 母は家族と開拓移民団として満州に渡ったものの間もなく終戦となり、開拓団の人々と共に満州国中央部に取り残され悲惨な結末を迎えました。ソ連軍と中国内戦の脅威の中、必死に本土目指して逃げ延びたわけですが、残念ながら飢えと寒さで母の母と弟が途中で病死し日本には帰ってこられませんでした。 それでも故郷・伊勢崎に戻ると、思いがけず競馬場跡地で新しい生活を再出発できたのは幸いだったと思います。 Re: 伊勢崎に競馬場があった - 丸男 2015/04/15(Wed) 22:36 No.1346 鳩ぽっぽ さん、またまた凄い写真を見つけましたね。もろに競馬場ですね(@_@)。 後ろに大きな樹木があったのも気になります。 お母さん、満州の開拓移民団でしたか。 満州での過酷な生活は映画や記録で読んだ程度で、断片的なことしか知らないので言葉が見つかりませんが、 引き上げ後、この場所や住宅が救いになったことはとても良かったことと思います。 |