渕名の前方後円墳 投稿者:にわかTT 投稿日:2014/02/14(Fri) 20:45 No.1220 トクチャンのコメントに「渕名に大きな前方後円墳があったが、消滅した」との情報がありました。 この話が気になったので1948年の航空写真で渕名の前橋古河線を見ていたら早速前方後円墳らしいものが写っています。貼り付けた画像をご確認ください。トクチャン、これでしょうか?話題に出たのは。 りっぱな周溝墓らしくお富士山クラスの大きさです。現在でも周囲の堀の輪郭が残っているようです。 この古墳は名前や番号が付いているのでしょうか? 近くに鶴巻古墳があるのにこちらは壊されてしまって勿体無かったですね。 添付:1220.jpg (166KB) Re: 渕名の前方後円墳 - トクチャン 2014/02/15(Sat) 01:40 No.1225
わざわざお調べいただきありがとうございます。 渕名神社の西側、太田県道に寸断されてしまい、ならされてしまったこの古墳がそうです。 群馬県内でも、上武士天神山や五目牛にあった大きな前方後円墳とともに、姿を消してしまった貴重な古墳だそうです。名前は・・・確か・・・ふたごやま、といったと思うのですが・・ すみません。上渕名出身の祖母から時々この塚(古墳)の話を聞いていましたが、名前がはっきり思い出せません。昔の人は古墳のことを「塚」と呼んでいました。茂呂・武士・伊与久・渕名にかけて多くの古墳があったそうですが、今ではそのほとんどが消えてしまいました。僕が子供の頃は上武士には畑になった古墳がまだいくらか残っていましたが、もうありませんね・・ 剛志小学校東側の法光寺の裏山や、法光寺の北東にある上武士の三柱神社も古墳だと聞いています。 完全な墳丘ではありませんが、何基か残っています。 Re: 渕名の前方後円墳 - 鳩ぽっぽ 2014/02/15(Sat) 16:01 No.1232 なんと!みんなが通る太田県道に立派なお濠を持ち、こんなに優美な形のいい前方後円墳があったとは驚き桃の木です!! 3段階に渡る古墳壊滅の写真を拝見すると、この古墳の数奇な運命を感じないではいられませんね。 現在の平井産業運輸さんの赤い屋根の建物が、お濠の外周に沿うように建てられているのもおもしろいです。 ネットで調べられる範囲ですが、上渕名には確かに「双子山古墳」(「雙児山」とも書かれる場合あり)といった古墳があったことが確認できます。 上渕名双子山古墳は「上毛古墳綜覧」では「釆女村10号墳」と掲げられており、1962年、群馬大教授で昭和の代表的な考古学者、尾崎喜左雄氏により発掘調査され、 周濠も入れた総長約130m、墳長約90m、後円径60m、前方幅82mの規模で、横穴式石室を設けた貴重な古墳だったんですね。 ここだけは太田県道を、緩やかにカーブさせて古墳を迂回して造ってほしかったです! 詳しくはぜひ、こちらの古墳好きな方のブログをご覧ください。「佐波郡采女村第11号雙児山古墳跡」として上から5番目位に出てきます。上記の古墳番号とは一致してませんがご了承ください。 http://de101705.btblog.jp/cl/0/1/2010/12/ このブログの方が撮った写真の場所と、にわかTTさんの航空写真の場所も一致しており、トクチャンの言われている古墳は「ふたごやま古墳」にほぼ間違いないでしょう。 Re: 渕名の前方後円墳 - にわかTT 2014/02/15(Sat) 21:59 No.1245 トクチャンのお陰でこの立派な古墳を探すことが出来ました。こんなことでもなければ一生知らずに終わってしまうでしょう。ありがとうございます。 鳩ぽっぽさん、ネットで知れべられたのですか!凄い。私のネット検索力はまだまだです。 古墳名と番号まで調べて頂きありがとうございました。それと面白げなブログのご紹介もナイスです。 |