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鈴木副市長のご退職にあたり

掲載日:2009/2/16
 鈴木宣男伊勢崎副市長が、2009年2月15日付けで退職されました。

 鈴木副市長は昭和37年に伊勢崎市役所に入庁され、以来46年間の長い期間、伊勢崎市の発展のために尽されました。長い間のご尽力に対して心より敬意を表します。




 既にご存知の方も多いことと思いますが、鈴木副市長は副市長と言う重要な職務をこなす傍ら、伊勢崎市のビッグバンド「Isesaki SMC Big Band」のバンドリーダーと言う、非常に魅力的でユニークな立場でも活躍されていました。

SMC第5回コンサート・Nocturne(前列右端が鈴木副市長)

 私が鈴木副市長と最初に言葉を交わしたのもそのことがきっかけで、2002年8月の境総合文化センターでの第2回SMCジャズコンサート“真夏の夜はビッグバンド・ジャズ”から暫くしたある日のことです。

 仕事関連の協会か何かの用事で何人かと副市長(当時は「助役」と呼んでいました)に面談を願い、私も末席で同席することになり、その面談の帰りにボソリと「ジャズコンサート楽しかったです」とお伝えしたのが最初の会話でした。
 仕事関係で面談を願うと言う緊張すべき状況ではあったのですが、コンサートの時、駄洒落を飛ばし聴衆の笑いを誘いながらMCをし、ご本人も楽しそうにサックスを吹いていた姿が頭から離れず、用事のことは同行した他の人に任せて、ジャズコンサートのことを一言だけでも話したいと、頭の中はそのことで一杯でした。
 もちろん建設部長、総務部長と市の要職を歴任されている方なので、公人としてはそれ以前に存じ上げていて、市役所に出向いた時などに遠目にお目にかかった事はありますが、個人的に会話したのはこの時が初めてでした。



 それから3年経った頃、ある仕事がきっかけで間接的に副市長のご指導を仰ぐ機会があったのですが、何と、その仕事が始まった矢先に私が不覚にも右足を粉砕骨折して伊勢崎市民病院に入院する羽目になってしまいました。

 話が逸れますが、この時の副市長のご指導を一例紹介しますと、私がコツコツ仕上げたある成果物に対して、窓口になった方から「あのぉ〜、副市長が『ダサイ、暗い、センスがない!』と申しておるのですが・・・」と。
 後に分かったことなのですが、副市長のこの一刀両断のコメント、泣く子も黙る恐怖の「副市長のダメ出し」。
 私はと言えばカチンと来るどころか逆に気分は爽快で、副市長が確認してくれたことにも感激し、しかも、言われて見れば全く指摘された通りで、その後すぐに修正して、無事にOKをいただきました。

 話を骨折入院事件に戻しますと、入院する羽目になって気掛かりだったのは、自分の脚より請け負った仕事のこと。工期を延長できない事情があったので一日も休む余裕などありません。幸い、ネットに繋がったパソコンがあれば何とか対応できるので、個室に入院し、カミさんに急遽PHSの契約手続きを頼み、入院した日の夜までには、病室がPHSでパソコンをネットに繋いだ立派な仕事部屋に変身。

 手術は7片に砕けた右脚の骨を12本のボルトでチタンプレートに固定する手術で、入院中は装具と車椅子にお世話になる日々でしたが、手術の日を除き、毎日カチャカチャとキーボードを叩いていました。外との連絡は携帯で行い、それがバレて病棟の婦長さんに何度も叱られ、回診のドクターからは
何ですかこの部屋は、まるで仕事部屋じゃないですか!ダメですよ、ちゃんとリハビリしないと!
と説教され、でもそんな事には挫けずに、右足をベッドに伸ばしたままパソコンに向かう日々でした。

 この時、副市長と直接にやり取りすることはなかったのですが、私の入院を仕事の窓口のどなたかが伝えたのか、何と病院に見舞いに来てくれました。しかも2度も。
 公務を終えた夜の時間で、赤いチェックのシャツに濃紺のコートと言うカジュアルな私服姿で、多分、ご自宅に帰られてから出向いてくれたのだと思います。

「あ〜どうも〜、鈴木です〜」と病室に入って来られて、私服とは言え副市長であることは分かっているので、ただただ恐縮するばかりでしたが、副市長は至ってフランクにあれこれと話をされ、当方の気後れした気分もいつしか消えて、恐れ多くも友達のような気分で話を交わしました。
 この胸襟を開いて膝を交えて話す姿も伊勢崎市のリーダーとしての大きな魅力だったと思っています



 それから更に1年半ばかり経った2006年の夏、ちょっとした用事で市役所のある方の所へ出向いた時、その部署の応接コーナーで副市長を囲んで何人かが話をされていました。
 突然のお邪魔だったにも関わらず「ま、どうぞどうぞ」と案内され、このような席に私がいていいのだろうかと所在無く思いながらも、元来の私の図々しさが手伝って話に加わることになりました。この時期、市役所もクールビズで職員の皆さんはカジュアルな半袖シャツ。副市長も薄地のチェック柄の半袖シャツを着て親しみ易い姿。
 話は当時伊勢崎市で計画されていた官と民のいくつかの大きな事業の話題でした。


 税収の伸びや雇用の促進を大きく期待できる民間事業の話や、波志江沼や波志江PA周辺の整備計画等、どれも伊勢崎市を発展させんがための事業の話です。それらを副市長を中心に真剣に熱く語っていました。そのどの話も私に取っては新鮮で刺激的で、興味と関心の琴線は大きく振れっ放しでした。

 こんなにもざっくばらんに伊勢崎市の事業を熱く語る副市長がいて、それを贅沢にも目の前で聞いている自分がいること、「これは何とかしなくっちゃ!」と思うのは必然の流れ。
 しかも、伊勢崎が大好きな事では誰にも負けないと自負していた私が、副市長の伊勢崎市に対する熱い想いに接してその自信も少し揺らいだ瞬間。これは負けてはいられません。

 伊勢崎大好きクラブの王座の座は副市長に譲っても、2位の座は死守しなければと訳の分からない決意で、でも、副市長は行政全体を動かせる立場にいるものの、私は一介の市民、一体何ができるんだろう?
そうだ、ホームページがあるじゃないか!

 「Go!伊勢崎」を開設した潜在的な理由はサイトポリシーでも述べましたが、直接的な動機は、今想い起こすに、この時の応接コーナーでの副市長との対話が引き金になったと思っています。

 以来、副市長との交流が始まり、いつもド真ん中には「Go!伊勢崎」がいて、伊勢崎を元気にするための事業やらイベントの話を伺い、あちこち取材に出掛け、それらを記事にし続けました。

 緑化フェアや年恒例の産業祭など、土日に行われた様々なイベントで、現地で副市長に偶然にお会いしたことは数知れず、土日や祭日であること、カジュアルな私服であること、特に市の幹部が出席する式典らしきプログラムもないこと、これらのことから、きっと主催者の皆さんを表敬訪問したのだろうと想像でき、休日もなく市の様々な行事をそれとなく案じている姿は、ただただ頭が下がる思いでした。



 「Go!伊勢崎」は全く私の生き甲斐&ボランティアなので、金銭の流れが一切発生しないことも、お互いが自由な立場で交流できた要因になっていたと思っています。

 時には伊勢崎市管轄ではない県や国の事業、あるいは民間施設など、私が取材したり調べた範囲で掲載した記事なども早速に見て下さって、間違いがあれば即座に指摘してくれるのもほとんど副市長でした。その対応の早さには感服するばかりで、それがまた私の新たなエネルギになりました。


 いつの頃からか、副市長ではなく呼び方も「Suh(スー)さん」になり、職員さん同席の場所でウッカリと「スーさん」と呼んでしまい、失態を演じてしまったこともあります。今更ながらに大変失礼いたしました。




2008/3/1 波志江PAオープン式典。
式典を終えてPAのコンビニで寛ぐ左から
矢内一雄前伊勢崎市長、一人置いて、鈴木宣男副市長、
五十嵐清隆現伊勢崎市長

 お伝えしたいエピソードは数多くありますが、なかでも一番印象に残っていることを紹介します。それは波志江PAスマートICオープン式典の日

 鈴木副市長が待ちに待ったこの日ですが、あいにくと市長代理で前橋市の緑化フェアオープンイベントに出席しなければならず、残念ながらこちらの式典は欠席せざるを得ませんでした。

 波志江PAスマートICの建設事業には鈴木副市長が計画段階の当初から長きに渡り中心的に尽力された事を知っている私は、矢内伊勢崎市長を初め、NEXCOや国会議員、県議団、市議等の多くの要人が参列したこの華やかな式典が終了し、来賓や招待者、関係者も引き上げ、担当部署の記念撮影も終え、数人だけが残ったスマートICに居残り、何だか主のいない式典を見ているような寂しさを感じていました
(→波志江スマートIC開通記念式典(2008/3/29)



 ところが・・・、
 「スーさん、間に合わなかったか」と寂しい思いに浸る中、最後のイベントであるスマートIC一番乗りの記念品授与イベントを行う頃に、前橋市での公務を終えて駆け付けたのです。
 車から降りた副市長は、式典を終えて華やかさが消えた波志江PAスマートICに感慨深そうに佇んでいました。


(左端:前橋市での公務を終えて、波志江PAスマートIC開通式に駆けつけた鈴木副市長)

 計画からこの日の開通に至るまでの様々な出来事を考えると、副市長の胸中には一言では言い尽くせぬ想いが去来したであろうと、そして、大きな事業を成す人物の静かな想い、時には孤独にも見えるその想いを副市長の背中に感じた光景でした。



 鈴木副市長が昭和37年に伊勢崎市役所に入庁した最初の職務は土地改良課で、当時の市役所(現在の西友の場所)の北側の分室(現在の平和町公民館辺り)が職場だったとのこと。
 家業の農業を継ぐつもりで社会へ出た時、農地が工業団地に掛かることになり、急遽人生設計の軌道修正を余儀なくされ、市役所へ入職することになったそうです。

 以来、主に建設畑の職務を担当され、副市長に就任する前は建設部長、総務部長、助役等を歴任し、その間の市長は、下城儀三郎氏、中沢豊七氏、下城雄策氏、高橋基樹氏、矢内一雄氏、そして短期間ではありますが現在の五十嵐清隆市長と代わりました。

 46年間の勤務で伊勢崎市の行政を熟知した鈴木副市長6代に渡る市長を、時には全職員の代表者として、
時にはご指南役やご意見役として支えてきたこと
は容易に想像できます。



 伊勢崎が大好きで仕事が大好き、豪胆で繊細、強引で謙虚、常に両面の特質をバランス良く持ち、そして何と言っても明るく楽しい鈴木副市長

 今回の引退はまだ早過ぎるのではと非常に残念に思っていますが、ご本人が決断されたことなので尊重したいと思っています。


SMCコンサートでバリトンサックスのソロを演奏するスーさん

 聞けば、退職後は一休みしてから、大好きなサキソフォンを本格的に習う予定とのことです。SMCのコンサートではバリトンサックスを奏し、私たちから見れば既にプロの領域ですが、何事も極める副市長、自分で納得するまで練習を積むのかと思っています。
 まだまだお若くて元気な鈴木副市長です。健康に留意されて第二の人生を益々ご活躍されることを期待しています。


 私はと言えば、副市長の肩書きが取れたので、周囲の目をはばからずにスーさんとお呼びし、益々のお付き合いをお願いしたいと思っています。

 46年間と言う人生の全てと言っていい期間を伊勢崎市政のために尽力された副市長、私が知る鈴木副市長はごくごく一部で、またどんなに語っても語り尽くせません。今後も機会を見つけてはスーさんから伊勢崎市の行政の歴史やご意見を伺い「Go!伊勢崎」に反映したいと思っています。



 最後に改めまして、

 鈴木宣男副市長様、46年間の長年月の伊勢崎市政へのご尽力、ご苦労様でした。そしてお世話になりました。

(2009年2月16日 記) 「Go!伊勢崎」管理人・兼(自称)SMC広報担当専務取締役・丸男こと上岡正明





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