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平成29年 平和祈念講演会

伊勢崎空襲の記憶


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伊勢崎空襲の記憶(H29年H28年H27年

掲載日:2017/8/16、更新日:2017/8/17
 「平和祈念講演会・伊勢崎空襲の記憶」が8月15日、伊勢崎市文化会館で開催されました。「伊勢崎空襲を語り継ぐ会」(会長 佐藤好彦さん)主催です。

黙とう、主催者あいさつ、来賓あいさつ

 開会にあたり、全員で戦没者に対して1分間の黙とうを捧げ、引き続き、主催者と五十嵐伊勢崎市長のごあいさつ。来賓を代表してあいさつした五十嵐市長は、世界各地で勃発するテロや北朝鮮の核ミサイル問題など、様々な事件が平和を脅かす昨今、恒久平和を求めるため、戦争体験を風化させずに語り継ぐことの重要性を伝え、本会の主催者や関係者の日ごろの尽力を労いました。来賓は五十嵐伊勢崎市長のほか、伊勢崎行政県税事務所所長や群馬県議会議員の皆さん。

主催者あいさつする佐藤好彦会長

来賓の皆さん

来賓あいさつする五十嵐清隆伊勢崎市長

戦没者に対して1分間の黙とうを捧げる参加者

掲載日:2017/8/16 ▲ページTopへ

第一部 伊勢崎空襲体験談 中津川 賢三さん

ー小学校3年生を襲った伊勢崎空襲!−

 中津川賢三さんが伊勢崎空襲に襲われたのは伊勢崎市南国民学校(*1)の3年生、9歳の時。

 当時の思い出として、南国民学校の門を通過する時、門脇に憲兵のような大人が立っていて、拝礼してから入ったこと、物資や食料が不足し、近所の「大村そば屋」から配給券が発行され、文字通り一杯のかけ蕎麦を家族ですすり合ったこと、伊勢崎工業高校の校庭に大きな桑の木があって、ドドメ(桑の実)を食べに行ったこと、前橋市が空襲を受け(*2)、「伊勢崎市もいつ来るか?」と戦々恐々とし、近所では盛んにバケツリレーによる防火訓練が行われたこと、訓練の参加者は主に女性と子供、女性たちの竹槍訓練も行われたことなどを語りました。



伊勢崎空襲の夜、中津川家が逃げたコース

 伊勢崎空襲の当夜(*3)、当時住んでいた自宅(*4)に隣接した矢島アパート焼夷弾が落ち、アパートや自宅を含めた近隣が火事に。母と姉、妹と本人の4人ですぐさま避難。当時あった小暮病院と三河屋の脇を通り抜け、焼きまんじゅうの田中屋本店前を通り、現・「新伊勢崎駅」交差点を南に下り、新伊勢崎駅へ。駅で電車が燃える光景を見ながら、境県道(県道伊勢崎深谷線)を通り抜け、知人の鈴木さん宅(*5)へ到着。途中、照明弾を落とす飛行機のパイロットの姿も見えたとのこと。空襲当時、父と兄は戦地に赴いて不在で、女性と子供だけの暮らし。空襲当夜、空襲警報は聞こえず、”てんでんこ”(各自めいめい)で逃げました。

 鈴木さん宅の防空壕で一昼夜を明かして自宅へ戻ると、自宅は焼失し、まだ白煙を上げてくすぶっていたとのこと。空襲の日、兵隊も消防車も来ず、「かく眼科」の前には爆弾の大きな穴が開き、その脇の路上で3日間を過ごし、その後、「かく眼科」北側の畑にバラックを建ててしのぎながら、間もなく剛志村(現・伊勢崎市境上武士・下武士)へ引っ越します。食料は困窮し、トウモロコシの粉に水と岩塩を加えたお粥を主食として凌いだことも。


 昨年の当講演会の話や史料を辿ると、伊勢崎空襲は日本が無条件降伏を宣言したことを知っていたにも関わらず実行されたようです。伊勢崎空襲のルートは3コース。その真ん中のコースの空襲で被災された中津川さん一家。それから72年。今年81歳の中津川さんはまだまだお元気で、現在伊勢崎市南千木町にお住まいです。
 伊勢崎空襲の被災者の生の声を聴いたのは今回が初めてのこと。戦争の悲惨さを語り継ぐことは、戦争を抑制することにつながります。中津川さんには、講演後の合間にもお話しを伺いましたが、まだまだ聴き足りません。これからも様々な機会で語り、一人でも多くの人に生の声を聴いて欲しいと思いました。(2017/8/16 記)

中津川賢三さん:昭和11年(1936年)4月生まれ。現在81歳。伊勢崎市南千木町在住。
(*1)国民学校:日中戦争後の社会情勢によって日本に設けられ、初等教育と前期中等教育を行っていた学校。
    1941年4月1日発足〜1947年4月1日廃止(Wikipediaより引用)
(*2)前橋空襲:昭和20年(1945年)8月5日、午後10時30分。
(*3)伊勢崎空襲:昭和20年(1945年)8月15日、0時8分〜2時15分。
(*4)当時は「本町五丁目」、現在は「平和町」 。場所は「かく眼科」の東方。
(*5)鈴木さん:中津川さんの父親と鈴木さんは共に浜松市の出身。
    同郷の友として、また魚釣りの趣味を通して、親戚以上の交流があったとのこと。

昭和20年(1945年)8月14日〜15日、戦略爆撃機B29による空襲焼失地(焼夷弾)

掲載日:2017/8/## ▲ページTopへ

第ニ部 伊勢崎空襲の記憶

 昨年に引き続き、「伊勢崎空襲を語り継ぐ会」会長の佐藤さんが、同会が事前に行った市内各所に残る戦争事跡を説明。昨年紹介された内容との差分について、後日紹介します。

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第三部 平和への祈り 「童謡すみれ会」による合唱

 童謡・唱歌を歌い継ぐ「童謡すみれ会」。会員数は60名。
 この日、冒頭に「四季の歌」、最後に「見上げてごらん夜の星を」を挟んで、「唱歌による『子供の四季』」と題して唱歌8曲を、参加者全員と一緒に合唱しました。指揮者は伊平幸夫さん、ピアノ伴奏は伊平むつみさん。

案内

掲載日:2017/7/28  ▲ページTopへ
【期日】 2017年15日(火)
【開場】 午後1時30分
【開演】 午後1時45分
【会場】 伊勢崎市文化会館大会議室
【入場料】 無料
【講演会内容】
 1部 当時小学三年生であった方の体験談
 2部 スライドによる伊勢崎空襲の記憶 講演
 3部 童謡クラブによるコーラス

【主催】 伊勢崎空襲を語り継ぐ会
【後援】 伊勢崎市・伊勢崎市教育委員会・上毛新聞社

【問い合わせ】 佐藤さん(0270-24-1301)
伊勢崎市文化会館(伊勢崎市昭和町3918)




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