Go!伊勢崎 宮子(みやこ)神社 [ 神社仏閣一覧 ]  [ Home ]


鎮座地:伊勢崎市宮子町1710番地

社殿サクラに包まれる神社境内神社など由緒



更新日:2013/4/13 写真下の日付は撮影日 [ 簡易周辺地図|詳しくは→goo地図 ]
主祭神 大己貴(おおなむちの)命(みこと)
配祀神 豊玉姫(とよたまひめ)命、倉稲魂(うかのみたま)命
 宮子神社は伊勢崎市の西部モールの西側にあります。伊勢崎市の一大ショッピングゾーンに近接していながら、その存在を知る人は少ないようです。
 西部モールのベイシア電気の南側を走る通りからは境内の樹木のみが見え、社殿は注意しないと気が付きません。
 また表参道の南側を走る前橋県道側からは、鳥居と参道しか見えず、こちらからもなかなか気が付きません。
 また神社周辺は、西部地区の区画整理の範囲から外れたようで、昔ながらの狭くて曲った道路が続き、地域の人たちしか利用しないであろうと想像でき、それがまた、賑わう商業ゾーンから突然に異次元の世界へタイムスリップしたような、不思議な感覚に陥ります。
 車で訪れる場合には、西部モールのどこかに駐車して、徒歩で出掛けてみるのがいいでしょう。(2009/6/11 記)


社殿


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拝殿 2009/5/10

本殿(南東側から)
2009/5/10



本殿の見事な彫刻
2009/5/10

拝殿
2009/5/10


鳥居の脇に白梅が咲いています
2007/2/17

拝殿と狛犬
2007/2/17


新緑が爽やかな境内
2009/5/10


サクラに包まれる神社




掲載日:2013/4/13 ▲ページTopへ
 伊勢崎市内の神社にはほとんどと言っていいくらいに、その境内にサクラが植えられています。
 一年の内、せいぜい1週間から10日間、自分の出番を待ってじっと待ち続けているサクラですが、満開になった時の光景は、その甲斐あって見事に主役をこなしています。
 そんな神社のサクラの晴れ舞台ですが、何年経ってもなかなか訪問し切れず、当サイト開設後7年目の今年もまだまだゴールは先です。そんな今年の3月30日、サイクリングの途中で宮子町を通過中、住宅地の中に見え隠れするサクラを発見。近付いてみるとここ宮子神社境内で咲くサクラでした。サクラは参道を覆うように咲き、4月を迎える前に既に満開で、ちょうど見ごろでした。
 この日、拝殿前の参道脇のちょっとしたスペースにござを敷いて、ご近所の皆さんらしき人たちが車座になって花見を楽しんでいて、たくさんの花見客で溢れる光景ではありませんが、地域に守られ地域を守る神社の風景をみたようでした。
(2013/4/13 記)


鳥居を彩る桜
2013/3/30

桜色に染まる参道
2013/3/30



参道はサクラのトンネル
2013/3/30

参道脇に並ぶサクラ
2013/3/30



2013/3/30


脇のサクラが拝殿を引き立てます
2013/3/30


境内神社など


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2007/2/17

女体宮と蚕影山が祀られている小山


2009/5/10


社務所
2009/5/10

天神宮
2009/5/10


諏訪宮
2009/5/10


女体宮
2009/5/10


蚕影山
2009/5/10

神楽殿
2009/5/10


表参道
2009/5/10


前橋県道側の表参道入口
2009/5/10


由緒


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「伊勢崎佐波の神社誌」を参照しました。

 当社の御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)で、縁を結び病気を治し不幸を救う神として崇拝され、また国土の守護神とも言われています。別名、大国主命・大穴牟遅(おおなむち)命の名があり、「大黒さま」としても広く親しまれている神様です。当社の創建は、後一条天皇の御代の万寿二年(1025)3月、領主の創建にかかると伝えられ、別当月読山福昌寺社僧となりました。
 江戸時代に至ると、徳川幕府の旗下跡部山城守の領地となり、篤い崇敬を受けて、社殿の修理並びに毎年祭祀神として玄米六石一斗五升及び幣帛が寄進されてきました。明治維新後はこの寄進も無くなりましたが、当地の鎮守社として、明治7年に村社に列せられ、同41年4月28日、竜宮神社およびその境内社の稲荷神社を合祀して、現在に至ります。
 境内はほぼ南北に大変長い参道を有し、その参道には石造りの鳥居が三基建ち、その内の一基は孝明天皇の御代の嘉永6年(1853)に、残る二基は紀元2600年(昭和15年)を記念し、それぞれ建立されたものです。
 また、石造りの常夜灯・狛犬などもあり、昭和10年代に造られたものです。 本殿は一間社流造薯B葺で、覆屋の中に鎮座しています。中には光格天皇の御代の文化12年(1815)の墨書銘を残した幣帛箱が納められていますが、調査の結果、その建造はそれよりは少し後の19世紀中頃と推定されています。海老虹梁に龍の透し彫りを施したり、彫刻が随所に用いられ極彩色が施されています。





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