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泉龍寺、八幡神社、稲含社

住所:伊勢崎市柴町
泉龍寺八幡神社稲含社稲含社と泉龍寺に咲く椿
更新日:2013/3/31 写真下の日付は撮影日 [ goo地図 ]

八十八夜

 2009年5月2日、柴町の泉龍寺境内に祀られた稲含社の祭典
八十八夜に行って参りました。

 この祭り、立春から数えて88日目にあたる5月2日(閏年は5月1日)、養蚕の安全と発展を祈願するお祭りとして行われ、起源は1851年に遡る伝統的な行事とのこと。

 寺(泉龍寺)の境内に稲含社があり、その参道の入り口には別の神社(八幡神社)が接し、八十八夜と言う地域の祭りを一緒に執り行うこと、調査不足の私に取って興味をそそる歴史の謎をたくさん秘めていますが、何はともあれ、初めて訪れた伝統的な行事、その賑やかさに驚かされました。

 往時は今をはるかに凌ぐ盛大さであったとのこと、その頃に訪れなかったこと、残念でたまりません。(2009/5/4 記)

午前9時から午後10時まで交通止め


国道354号(手前の道路)から

 国道354号から泉龍寺山門までの
およそ400m続く参道の両脇に、
様々な露天商が並びます。
 今年は国道354号から八幡神社境内の東側までの道路脇には、焼きそばや焼き饅頭、イカ焼き、タコ焼き、お好み焼き、から揚げ等、多くの食べ物屋さんがビッシリと並びました。
道の両側にビッシリと並んだ露天商

地元名物・焼き饅頭




射的に少年達が群がっています。
やっぱり男の子!

大中小様々なプラスチックのボール
色もカラフル


八幡神社境内の東側には
参道の途中に中門があります。

中門から泉龍寺山門までの路は
松並木になっています。

昔懐かしい金魚すくい


 参道の南側の国道354号は旧日光例幣使街道で、小さな石垣の水路にその名残が残っています。
 水路と言えば、甘楽町の雄川堰や旧子持村の白井宿の水路などが今なお残され、ちょっとした観光スポットになっていることを思い出します。


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八幡神社


2009/5/2

境内 2009/5/2

神楽殿では八十八夜奉納芸能大会
2009/5/2

本殿(東側から) 2009/5/2

参道南側の鳥居から 2009/5/2

手水舎 2009/5/2

拝殿 2009/5/2


本殿(西側から) 2009/5/2


伊勢崎市指定重要文化財 「柴町八幡神社社殿」
 2009/5/2


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中門〜泉龍寺山門の参道

には花木や農作業の道具、木製や竹製の台所用品などの露店が並びました。



松並木が涼しそうです

鋤(すき)や鍬(くわ)などの
農作業の道具

お客さんが持参した刃物を研いでいます

一升枡やお盆、お櫃

竹かごやざる
昔は、この場所にも隙間なく露天が並び、周辺から訪れたお客さんも、
この日を待って農作業や台所に必要な品物を購入したとのことです。


稲含社と泉龍寺に咲く椿

掲載日:2013/3/31 ▲ページTopへ
 2012年3月30日、せっかくの土曜日が花曇りの寒い日になってしまいました。サイクリングのペダルを踏んでも、身体も冷えたままです。この日、西部公園やら名和幹線、例幣使道・柴宿辺りをブラブラとサイクリングし、その道すがら稲含神社に寄ってみると、遠目にも目立つ深紅の椿。寒さを忘れて吸い込まれるように境内に向かってしまいました。
 八十八夜には大勢の露店商や訪問者で賑わう参道も、花曇りの寒い日とあっては誰一人なくひっそりと佇んでいます。泉龍寺前を通り過ぎ、稲含社を参拝し、更に奥の院まで足を伸ばしてみると、枯れ葉に覆われた奥の院参道脇の林の中に何本もの椿が花を咲かせています。淡いピンクの大きな花弁、赤白が混じった八重の花、深紅一色の花など、境内管理人の方が椿が大好きなのだろうと思わせるに十分な数と品種の椿が咲いています。椿咲く京都の神社仏閣を訪れたことはありませんが、そんな京都を楽しんだ気分でした。(2013/3/31 記) 

枯れ葉に覆われた奥の院参道脇に咲く深紅の椿。侘びと寂の世界です。 2013/3/30

椿の深紅と葉っぱの濃い緑のコントラストが強烈です
(泉龍寺参道)

2013/3/30


2013/3/30


境内の林で咲く何種類もの椿も撮ってくれば良かったのですが、ウッカリ忘れてしまいました。またいつかの機会に。

2013/3/30

葉っぱを覆う深紅の椿(泉龍寺参道) 2013/3/30


アップに耐える深紅の椿(泉龍寺参道) 2013/3/30


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稲含社

稲含社(いなふくみしゃ)

 稲含社は、正式には稲含だ枳尼尊天(いなふくみだきにそんてん)といいます。五月の八十八夜が縁日で、以前は養蚕と農業の豊作を祈る人々で大変にぎわいました。養蚕は、気候に左右されることが多く、その安定をお祈りしたのです。
 泉龍寺に祀られている稲含だ枳尼尊天は、稲の穂を口にくわえた白狐に乗った木彫りの像で、台座には「慶安二年(1649)八十八夜伊勢崎枠屋弁太郎」と書かれています。
 かつては参道の両側に、養蚕具や農具を売る店が軒を並べました。近年は、植木や花木、野菜苗を売る店が多くなり、商売繁盛、家内安全などを願う人たちでにぎわいます。

平成17年3月
例幣使道まちづくり会議

 この日、奥の院の係を担当された方お二人と、お祭りの昔の様子や奥の院に纏わる言い伝え、利根川の昔の流れのこと、昔は吊り橋だった五料橋のことなど、仮設テントの椅子に腰を下ろし、じっくりと伺うことができました。

 昔は祭りの規模も盛大で、国道354号から稲含神社の六地蔵の辺まで露天商が隙間なく並び、催しも色々な物が行われ、大そうな賑わいだったとのことです。

観音堂

泉龍寺の参道

稲含社説明板

稲含社
 稲含社の社殿の脇を通ると、「奥之院」への案内が。
 奥の院へ続く道は樹木が茂る林の中にあり、進むうちに道幅が更に狭くなり、木立の陰で薄暗く、ちょっと怖いくらいの雰囲気が漂っていました。
 係りの人も、「自分たちでさえこの祭りの時くらいしか訪れません」とのこと。
 言い伝えでは、この祠の穴は遠く赤城山まで繋がり、この地に現れた白狐がスルリと祠の穴に入り、赤城山まで行き来したとのこと。



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奥之院の祠。この穴を白狐が出入りしたとの言い伝えがあります。

奥之院


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泉龍寺

泉龍寺(せんりゅうじ)

 泉龍寺(臨済宗)は、山号を萬松山(ばんしょうざん)といい、寺伝(じでん)によると、大同元年(806年)に柴崎山玉泉寺(しばさきさんぎょくせんじ)(真義真言宗)として創建されました。応永元年(1394年)那波(なわ)城主大江宗広(おおえむねひろ)が、白崖宝生禅師(びゃくがいほうしょうぜんじ)を招いて中興開山としました。本尊は、釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)です。本堂は平成十年(1998年)十一月に建立され、寺宝の白崖宝生禅師画像は、県指定重要文化財になっています。
 境内には、柴町にあった蜜厳院(みつごんいん)から移した観音堂、八十八夜でにぎわう稲含社、当山最古(1394-1437頃)の石仏である延命地蔵や薬師如来があり、墓地には、那波家の墓、那波氏の供養塔、那波十四騎の供養碑があります。

平成18年3月
例幣使道まちづくり会議


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泉龍寺境内

泉龍寺境内

鐘つき堂

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延命地蔵菩薩並薬師如来

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六地蔵(山門左側)

六地蔵(山門右側)





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