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煙草をたしなむ

掲載日:2015/7/17
 20数年ぶりに喫煙する

 映画「ジミーとジョルジョ」監督アルノー・デプレシャンの中で、精神障害者の施設にいるネイティブアメリカンのジミー(ベニチオ・デル・トロ)が、壁にもたれて煙草をふかしていると、脳梗塞か何かで半身不随の車いすの男がそばにきて、ゆがんだ口、半分麻痺した声で「煙草をくれないか」と身体を寄せてきた。顔右半分が歪み、左手は車輪の上、右手は麻痺して吊り上がっている。
 ジミーは、胸の箱から一本取り出し彼の口元に入れると、右手で銀のライターを煙草の先に持っていく。ぼっと火が付くと、男はしかめっ面をしながら、徐々に大きく息を吸い、口の中に煙を含んだ。感覚を口の中と肺に集中している。そうしたあとにゆっくりと煙を吐き出した。
 車いすの男とは、施設で時々会うが、いつも顔がゆがみ苦しそうに孤独の中に浸っている。一言も言葉を交わしたことはないが煙草を吸う男だとは思わなかった。ジミーが美味そうに吸っているのを見て、体に悪いと言う考えを振り払い吸いたくなったのだろう。数十年ぶりになる。
 その後、何回か吸い込むうちに、意識がもうろうとして、身体から力が抜け、体がうねっているように回り始める。倒れるのではないだろうかと思ったが、麻薬でもやったように、体がゆらゆらする。車いすを動かしてみるが、酒に酔ったような意識をしていることだけが明快で、車いすに乗っている感覚がない。
 ああ、ほんとに、久しぶりに煙草を吸った。昔も吸い始めは、くらくらしたものだと思いだす。

 毎日吸い始めると、煙草が身体に与える影響が薄れてしまって、何故吸っているのか解らなくなるが、この酩酊感が煙草の楽しみだと思いだす。人に話しかけることのない彼だが、ジミーに、煙草の感覚を話したくなり、あわや、饒舌になりそうなところをおさえて、「この味は忘れられない」と一言だけ口に出す。乾燥した草がくすぶって、強い香りが鼻につき、草原が揺らめいている思いがする。

 酩酊感は、人を躁に変える。気分は朗らかになり、人が恋しくなりそうだ。あれほど、憎んでいた他者に、声を掛けたくなる。懐かしい過去がよみがえり、空間しか見ていなかった視線が、人を探すようになった。こんな晴れ晴れとした気分からどれほど離れていたことだろう。
 白い雲が透き通った青い空に流れている。いなくなった彼女が目の前にいたら、いつまでもしゃべり続けていただろう。


 養老孟司が、「ストレスがあるなら煙草をたしなむと好い」と何かに書いていた。

 数日間思案していたが、20数年ぶりに朝一服してみると、車いすの男のように、気分は爽快になった。彼のようには饒舌は抑えることが出来なかったが、お酒ではない酩酊感は、捨てがたい魅力である。
 一日中、躁の状態が続き、「今日は明るいですね」と知り合いに声を掛けられた。驚くことに、気分というものは、こんなにも簡単に変化する。昨日までは、深く沈んだ精神、話すことを出来るだけ少なくし、頭の中の大きなしこりを感じ、電話も出来たらかけたくない。
 僕と言う鈍い精神が、停滞し、沈静しそれでようやく平静さを保てている。その憂鬱な毎日が、煙草の一本で消えていく。それは脳内でどのような作用があるのか?
 肺の血管から脳にたどり着いたニコチンは、鎮静効果と興奮効果があるという。
 躁な状態は、興奮効果からくるが、鎮静効果とは反する作用だが、気分と言うものを作り出す脳内の細胞は、その気分によって、情動の強いときには鎮静させ、ふさぎこんで沈んだ時には興奮させるのだろう。毎日無意識に吸っている煙草も、ストレスの鎮静作用があると言う。ニコチンが脳内のシナプスを介在させて飛びかうのだ。
 煙草には、このように一定の効果があるが、日本では禁煙することの方が、有意義だと全体論がまかり通っている。田舎より都会の方が、肺がんが多いそうだ。

 都会も田舎も煙草を吸うパーセンテージは同じだから、都会の空気の中の車の排ガスの方が危険だということだと思うが、煙草は肺がんのターゲットにしても、車をターゲットにできない経済的理由があるからなのだろう。個人的な鎮静効果など政治にならないということだ。


 それはいい、そんなことより、煙草の効果は現代にこそ通用するという思いが湧いてくる。
 一昨日に朝一本吸って、昨日は、朝の時間あれこれと用事があり、ゆっくりした時間がなく吸わなかった。出来うるなら、早朝の10分、静かな時間、一日のその時間だけゆっくり喫煙して、沈静した憂鬱を吹き飛ばしてみようと思う。さてそれでは二本目の煙草を吸ってみよう。

 会社の玄関から外に出て、2本ある擬木のエンタシスの柱の前に椅子をおき、柱にもたれて、右手の人差し指と中指で挟んだラークの9mmに、ライターで火をつける。合気道で呼吸の仕方を学んだが、ゆっくり吸い込み、咳が出そうなところを我慢して、肺の奥深くに煙を充満させる。そして、いっきに吐き出す。深く吸うと出てくる煙の量は薄くなっている。

 クロードの建物は、南西に向かってL字型をしている、その交点に入口がある。建物は女体と捉えているので、両足の中央にその入口のように考えて位置決めした。入口上の2階部分は、ステンドグラスで花型の窓、中のデザインは、子宮の入り口から両指が出てきて、開口部を大きく広げて頭、顔の半分、その片目が今まさに出てくるように図案した。 一階の入口は、人々のためだが、2階の子宮口は、母親から生まれる瞬間の場所である。
 会社の事務所で吸うと、匂いが漂い誰かにすぐに発見される(それでもかまわないのだが)。玄関から外に出て、水飲み場で腰かける椅子を持ってきて、柱の前に座って一服しよう。南面に向かっているが、朝の光は東の建物にさえぎられて見えない。上を見上げれば、うす雲で、ところどころに青い空が見えている。
 数回、胸の奥深くまで煙草の煙を吸い込んだ。顔の前に煙が流れる。脳内まで循環する時間はほんの数秒だろう、ニコチンを取り入れた効果で酩酊感が現れる。雲の中を漂うように感じ、安定感がない。立ち上がると倒れそうで、ふらふらしている。
 吸い終わると、側溝の隙間に吸い殻を投げ入れた。目を開けるより目をつむり静かに状況の変化を待っている。漂っている感覚は、10分もすれば薄れ、その状況を、今書きつけている。ニコチンが、脳から体全体の毛細血管までたどり着き、また、心臓に帰ってきている時間が過ぎたかもしれない。

 日本のたばこは、この草っぽい香りが少なかったように記憶していたが、ラークは、焼け野原が胸の中、鼻の中に香りとして残っている。かつては、ハイライト、ホープ、セブンスターと取り替えたが、洋もくにない、香りのやさしさが特長だったように思う。一日一本朝の時間を過ごして、ラークが無くなったら、日本製のものにしてみよう。

 吸わなかった昨日は、いつもの気分だった。言葉少なく、充足感なく、一人になりたい。
 さて、二日目の今日は、どういう変化が待ち受けているだろう。充分ニコチンが、血液の中で循環しているはずだから、鎮静効果、興奮効果の表れるのを感じてみよう。悪心が消え、正常な精神に世界の肯定が現れればこれは見っけものだ。

近藤蔵人  平成27年7月2日





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