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10匹の鳥小屋


掲載日:2013/9/19
戦後、三世代が一つ屋根で生活していた。
爺さん婆さんは、子供や孫のために力道山の試合をテレビを買って見せてやった。
長男夫婦は、冷蔵庫を買い子供たちに冷たい氷の入った水を飲ませた。
子供たちは、父の話を聞き父の弟である叔父の話を聞き、祖父の話を聞いた。
三人が、同じ話をすることもあり、それぞれ違った話をすることもあった。
祖父は、戦争とは食うものも食わず塹壕で寒さに凍えることだと言い、
父は、負け戦でも友が危なくなれば、鉄砲も使えると言い、
戦地に行かなかった叔父は、東アジアの平和と繁栄のためには戦わなければいけなかったと言った。
子供の友人が自殺したとき、子供は「自殺してもいいんですか?」と父に問うた。
父は「戦争に行って、ひとを殺しそうになったら自分を殺しなさい。また、お前は男だから、強姦しそうになったら自分を殺しなさい」と答えた。

大家族が、メディアのニューファミリー核家族宣伝によって、長男は市営住宅に住み、父母・子供二人の暮らしとなった。
電化製品は、核家族ぶん販売され、両親ともそれらを買うためのように働いている。
子供たちは、父と母の話だけ聞いて育った。
当然両親の心情から逸脱したら、お仕置きや訓示があったので、両親の言うことに逆らうには勇気がいった。
子供の友人が自殺したとき、父に「自殺してもいいんですか」と問うと、父は「人は、自分の力で生まれてきたわけではないので、自分の考えで自分をなくすることはできない」と答えた。

人は氏と育ちと言う。
遺伝情報に加え、生後の環境や教育によって人が人らしくなる。
中井久夫によると、昭和天皇の風呂嫌いは、常に緊張を強いられた幼き頃から、緊張をほぐすものやリラックスすると緊張状態に耐えられなくなる。そのため、天皇は、緊張が常態と認識したのだ。チック症はそのためだったろうと言う。
そのように、人それぞれ育ちにより変化する。
子供が、父母の環境だけで育つと、言いつけを守る子になるか反抗する子になるが、どうすればいいかわからない事態に陥った時、パニックを起こすしかできない子供になる可能性がある。
子供時代、Aの意見や反対のBの意見の中で、さてどちらがいいか思案し続けた子供は、初めての事態に陥っても、答えを出そうと探すだろう。
先の自殺の話は、子供に「自殺なんてとんでもない、ダメに決まっている」と言う答えでは、子供が自殺しそうになったとき、止める足枷にはならないだろう。
また「自分の力で生まれたのではないから自分でどうにかすることはできない」でも自死の取りやめは難しい。存在は理解しても、言葉が教科書的で上滑りだ(だいたい僕の言葉はここまでだ)。

寅さんは、おいちゃん、おばちゃん、さくら、ご主人、子供という家族構成。
サザエさんは、お父さん、おばあさん、サザエさん、ますおさん、わかめ、かつお、おじさんの家族。
親族の基本構成のレヴィー=ストロースは、家族構成は世界中均一であったという。
社会は一定の成熟した者を必要とするから、子供たちが成熟しやすいように徒党を組んだのである。
それを阻害したのは、資本主義だった。
大家族を核家族に分割し、核家族を個人主義に再分轄した。
個性は、日本では買ったものの羅列で決まる。資本主義の勝利である。

子供が切羽詰ったときに心に届く言葉を考え続けて出てきた言葉が、
「人を殺しそうになった時と、強姦しそうになった時だけ自殺はやむを得ない」
これ以外では、自死してはいけない、と理解できるのではないだろうか。
哲学者の鶴見俊輔が、我が子の問いに答えた言葉である。
子供の時分から言うことを聞く癖をつけるか、考える癖をつけるかでは、成熟に大きな隔たりがある。

オリンピック招致委員長が、アルゼンチンで放射能汚染の質問に答弁困窮した、と新聞にあるが、いろいろな質問に答える準備がなされていないということだ。
大丈夫だと押し通せば行けると踏んだのだろう。
これは、大家族で生活うんぬんのせいでもあるが、日本人の癖であるかもしれない。
先の戦争文献を読んでも、すべての枝葉まで考え尽くして行動することが苦手な国民性である。私たちの些細な生活では、勘が混じってもいいだろうが、国家が行うことでは、結果が違いすぎる。神風は時には吹くかもしれないが、毎回吹くわけがないだろう。
どうして想定外のないようにまで考え尽くさないのだろうか。
アメリカ映画を見ると、パニック映画や、恐竜映画や、宇宙船映画やテロ映画や大統領暗殺映画やありとあらゆる分野に広がっている。これは、未来を想定しているのだ。在りうるかもしれない未来をリストアップして対処を考えているのだ。国政がそれ以上のことをしているのは常識だろう。

人は決断するとき過大なストレスを感じる。他の動物も同じだという。
未だ意識が確立されていない頃、右脳の神の声に、左脳が従っていたという。
決断する時のストレスを受けて、神の声が左脳の代わりに伝える。
右脳は、経験や勘を総合した答えを与える。それが神の声である。
ここには意識はない。意識は、無辺の闇を探るには力不足である。
多分、日本人は決断時のストレスを、勘に頼る癖があるのだろう。
右脳は、芸術脳ともいわれるが、意識なく物事を行うことができる。
複雑な要素の絡まった近代では、それをときほぐして解決しなければならない。
ひとつずつの解決が出来なくてはならない。
右脳の気配を察知する力や、魂を感じる能力は、左脳と協力して決断するべきだ。
東京五輪に、放射能や津波を言うと、そんな心配することないと述べる人が多い。
心配したってどうしようもないよ、明るく未来をみつめたいと述べる。
原子力の事故は、何の教訓にもなっていないのだ。

世界の最後は、地球の消滅で終わる。
世界は、それまでに人間同士の殺戮(さつりく)で消滅するという。
共和的である時間が増えれば、時間は伸ばせるが、今のままでは、いさかいは増えるばかりだ。
昭和30年から日本は貧乏ではあったが共和的貧乏だったと関川夏夫の言葉である。
小津安二郎の映画に出てくるように、醤油が足らないから隣家から借りる、友が来たのでお酒まで借りる。

大衆は右往左往する存在だが、数年前から素晴らしい選択をしたと言う。
日本の人口を適正な人口に調整しているというのだ。
少子化といわれる総人口の減少は、日本に最も必要な事項であると、学者は考える。
成熟した社会を構築するには、まず適正人口に自ずから調整しなければならない。
現代は移行期的混乱の時代という著書もある。少子化に移行する過程での混乱ということだ。
5匹が適正な鳥小屋に10匹入って暮らしていては、生存競争が激化することは目に見えている。
我々は、先の予言を無きものとするか、伸ばせるだけ伸ばす努力をしなければならない。

2013/9/17 近藤蔵人







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