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紙一重とIQ

掲載日:2013/7/30
 かつて小泉純一郎元首相が郵政選挙の時、広告代理店に選挙民の分析と対策を依頼し、

 A.構造改革に肯定的で、IQの高い層
 B.構造改革に肯定的で、IQの低い層
 C.構造改革に否定的で、IQの高い層
 D.構造改革に否定的で、IQの低い層


 と、4種に大別しました。この中の最大多数のB層を、「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」、「主婦や老人や低学歴の若者」と規定し、マスコミ報道に流されやすい人で小泉改革に熱狂し、流行のラーメン店に行列を作るような人たちと捉えています。
 選挙はこの層をターゲットに絞り、難しい説明は一切話さず、「自民党をぶっつぶす」、「郵政改革」、「規制緩和」と、がなり立て、B層は何が何だか解らないが、「かっこいい」と受けとりました。この時の大勝は、彼らの読み勝ちだったのです。

 マスメディアも大多数のこのB層に向かって発信しています。テレビが愚劣になったのは、この層の人たちに向かってテレビを制作しているからで、これまでにない番組を考えたとき「それは彼らには難しいし、高級すぎる」と企画が没になるそうです。番組に知性を感じないのは、作り手が故意に排除しているからです。流行やトレンドに左右される人々だけに話しかけるのだから、その他の少数の層の人は番組に興味を引かないわけです。
 B層の人たちは、劇的変化を好み、安定が壊れることに価値を認める。当然「維新の会」も同じ層に属します。



 安部首相になると、もっと露骨に広告代理店と親密になり、広告代理店の広告と同定度の宣伝効果を期待した行動になっています。アベノミクス、三本の矢、骨太宣言(牛乳ではない)、戦後レジームの脱却等、それらが何を言っているのかわからなくても、タイトルだけで素直に反応する層があるから、演説の原稿に、ここで水を飲むとか、前をむいて威厳を保つとか、間をおくとか、彼らが演説草稿に記載した通りに首相は原稿を読み、演技をするのです。商品の宣伝と同じですから、購買層にだけ話しかけ、難しい問題は隠蔽し、困った問題は、言葉で言いくるめます。
 対象が、流行に左右される人たちに向かって政策も商品も考えられるのですから、最も権威があるのは、その層の人たちの言動や行動となります。だからB層の人たちが、政治家を動かす最大の権力者とも言えるわけです。

 低IQの人たちに向かって受けるように政策を立案すれば、選ばれる確率が上がるわけです。維新の会の市のバス運転手の賃下げは、見事にはまりました。彼らは、国民の為の政治を行うことより、B層に向かって政策する楽しみにウキウキしているようです。反応が手に取るように現れ、大合唱が起こったのですから。



 さて、あなたは広告会社の彼らから見てどの層に属しているでしょうか?

 残念ながら、小泉さんの時は、僕は間違いなく知識のない改革賛成派でした。低IQ層です。郵政改革が何かも知らず、規制緩和が、契約社員を生むことも知りませんでした。
 ただ老人政治家の恥知らずの顔が、若く好ましい顔に変化することが良いことだと思っていました。政治家は、個人の嗜好のためではなく、国民のための政策を練り立案するためには、苦虫をかみつぶす程の苦難と、自己の好悪を乗り越えて「100年の計」のために辛抱する経験のために、恥知らずと思える面の皮の厚さが必要なことがわかりました。
 今では、テレビのせいで世界中見栄えのいい政治家が首相になっています。僕が、苦虫をかみつぶしたような顔に、魅力を感じなかったように、B層のいわゆる大衆層は、見栄えと、受けの良い言葉によって選定しました。



 日本では、戦後アメリカ軍に占領され続け、憲法も自主的につくることができず、何事も彼らにお伺いを立てて行動する慣習が生まれました。日本には未だにアメリカ軍が駐留しているから、そういうことになってしまったのです。日本の政治家は、アメリカに従順でも、いつか自国を自主独立の国家に作り替えたいと心の内で考えたでしょう。しかし、行動は、必ずアメリカに気遣ってなさなければなりません。このジレンマが、自民党に根強く浸透していると考えて間違いないと思います。
 理想は、自国の憲法と軍隊など自主独立と言ってもいいように思われますが、この70年になろうとする間、軍が他国の人を一人も殺さない国はありませんし、自国の軍人も戦に出ることもありません。
 今、保守政治を上げる政党は、共産党と社民党です。革命的ともいわれる改革を進める政党は、自民、維新、みんな、民主などです。アメリカの意向は、東アジア安定の護憲です。すると、共産、社民、アメリカが保守護憲を目指しているのです。おかしな事態です。

 自主独立で、いつでも国軍を派遣できる国が理想なのか、戦争をする権利を持たない平和主義が理想なのかは、政治家は自主独立と言っても、国民は平和がいいに決まっています。そして、かつての政治家は苦虫を噛み潰した相をして、国民のための政治に没頭したのだと思います。現在を予言した下村治の経済学を遂行した池田首相の所得倍増計画は、国民の為の政策でした。ところが、若く見栄えのいい政治家は、決して苦虫を噛み潰したような顔になろうとはしません。「熟考し、考えあぐね、時期を置いて結論を先送りし、両者の中をとって手を打とう」と言うようなことはできません。早急に物事を解決したがり、複雑なことを単純化し、意見が通らないとつむじを曲げます。



 若いころ、合気道師範の老人に、美しい目をした殺人者のことを聞きました。悪人は、鬱屈し、鬱積した人たちの、我慢の限界が切れた挙句の行動だけではないそうです。なので、苦虫の顔にだけ、嫌悪感は持つべきでなかったのです。明朗快活な人は好ましいと思うが、複雑な悩み事を打ち明けたくはならない。幾分暗く、思慮深そうな人に相談したくなります。明るい人は、複雑な葛藤に慣れていないから朗らかなのです。

 人々を4種に分ける考えも横暴だが、最も人口の多いB層、それも、知能が劣る人々にだけ話しかける政治やメディアは、理解ができない前提で語りかけるのです。あなたたちは私たちの言っていることを信じていればいいのですと、言っているのです。B層と思われる方々は、ご用心してください。僕がこのところ政治がらみなのには、こういう理由があるからです。用心するとは、幾分勉強して、傾向と対策を考えてみなければいけないのだと思われます。
 政治経済は、女子供のものとかつては言いました。彼らはB層に向かって政治が行われるから、女子供と言ったのです。ここには、ころころ変転し続けて普遍性はありません。手を付けないに限っていたのです。その上、興奮させようと手ぐすね引いています。しかし、改憲だ、国防軍だ、国民国家の解体だと、孫たちが被りそうな荒波に私たちが手抜きでは民主主義の名折れだと思ったのです。

 アメリカは、国防軍としてあれば、自国の負担が少なく歓迎するでしょう。しかし、東アジアの緊張を故意に作り出す現政権には、苦渋の面持ちです。日本は、戦後フリーハンドで政治を行ったことはありません。アメリカにお伺いを立てるか、顔色を見て行動するという依存症の症状を呈した政治家たちです。アメリカもはっきりとは指摘しないから余計です。相手がどう思うかに神経をすり減らして行動する依存症は、なにか想定外の事件が起こると、パニックとなります。味噌も糞も区別がつかなくなるのです。
 行動や言動は必ずアメリカを向いてアメリカが喜ぶように起こしても、本来自立したいのですから、常に矛盾および葛藤しています。原子力施設の対処には如実にパニック状態となっています。また、自己決定するとしても、常識的なところには落ち着きません。依存するか、蹴散らすかの変わった二者選択となるのです。



 安部首相の揺れはまさしくこの選択にあると思います。首相が、侵略は国によって受けとり方が違うといい、村山談話を継承すると言い換え、慰安婦もありというと、ニューヨークタイムズが露骨に嫌悪を表すと撤回し、東アジアの人々の感情を逆なでするように多数の靖国参拝を挙行するのは、精神の統一が出来ないからであると思われます。
 アメリカに依存が最優先だが、隣国には強硬姿勢を示さないと、自己破壊が起きそうになるのだと思います。13億を統合しようとする中国の指導者程も、毅然としておれないのです。かといって、現在この政権が数年は継続するでしょうから、僕たちは熟考して、そして用心しておかなければなりません。



 今グローバリズムの波に乗って、すべての企業が海外への進出をもくろんでいるようです。人は多分その人の気質によっていかような人生もありだと思います。絵描きになろうと、サラリーマンでいようと、農家になろうと、冒険家となろうと、お母さんになろうと、多様性が大切だと思います。海外生活もありでしょうし、企業家となって資産の管理もありでしょう。そこで、ある研究報告に「人は年収650万までは、お金が、幸せの大切な要素だと考え、650万を超えると、お金は、幸せと相関関係はないと考える」とあります。
 とすると、650万までの人は、生涯お金を求め続け、650万過ぎて初めてそうじゃあないんだと気付くわけです。お金じゃないとすると、購入したものには幸せは宿らないということになり、それ以外を考えなければなりません。

 リルケは、生まれた時に自己実現したのだから、あとはおまけと言います。不運が続き、苦労が絶えなくても「生きていてよかったと思う瞬間はあるだろう」というのです。それなら、自分を不運にするものに近寄らなくし、活力をそぐような人とも付き合わない。出来るだけ充足した時間を増やすのだといいます。



 資産の過多も、仕事の質もそれには影響しないということです。生命維持と、子孫の繁栄のために人は快楽を与えられています。食事はおいしいし、妻や女性たちは驚くほど元気だし、知識が増えれば充足も増えます。そのうえ子孫を残すことには、多大な快楽と、60も過ぎて、孫を風呂に入れ、着替えもせずきゃっきゃと騒いでいる子供たちの声が聞こえる喜びは、何物にも代えることができないと感じ入ります。
 ハッピーは、瞬間の幸せ・喜びと思いますが、幸せには少々の時間の余裕が必要です。60までは、ハッピーなこと多々あり、つらさも、苦しみも、あきらめもおおよそ人々が感じる負の感情も誰にでもあるでしょう(この平安な時代においても)。それが、孫二人現れて、
「じいちゃん馬鹿でしょう」
「黙って!・・一言もしゃべらないで!」
と孫に恫喝される身となって、
「じいちゃん馬鹿ちゃいまんねん。あほでんねん」
と、うきうきとしている自分がいることに、幸せ感は存在します。

 生きていると、空があり、雲は動き、木々がゆれ、自然が訴えてきます。ナチ収容所のフランクルは、水の音や、小さな紫の花や、雲の動きに充足を感じた人が生き延びられたのではないだろうかといいます。自然を感じることは誰にでも可能です。
 650万以上の年収になって知る経験は、それ以前でも不可能ではないのです。人の遺伝子は、孫子を可愛がるとき、爆発します。ごく普通のことです。そういう風にできているのです。家内が、二人の面倒は大変で嫌だとこぼします。が、二人をみている眼は生き生きして目が輝いて幸せそうです。子供たちのために嬉々として夕飯の準備をしています。本当は嬉しいのに、疲れたと愚痴をいうのです。それなら、子供がいて嬉しいが、体は疲れると順番を変えればいいのにと思います。無理をしなければ、疲れも我慢できます。



 B層と規定されたわれわれは、本来B層ではありません。彼らが勝手に線引きしただけです。A層からD層まで変幻自在なのが我々です。またIQで、人格を図ることはできません。背丈が何センチや、速く走れると同じ肉体的意味しかIQにはありません。ひとは、氏と育ちです。
 先の天皇陛下は、風呂嫌いでした。それを、中井久夫は、生まれた環境からずっと意味不明の大人がそばにいて、緊張は日常的なことだったと言います。風呂に入りリラックスすると世界が崩れる感覚がしたのでしょう。「緊張の持続が私の生涯だ」と思ったでしょう。天皇のチック症もそれなら理解できるといいます。
 これが育ちです。人には人の分だけ育ちがあります。いやにケチだと思われる人は、案外資産家に多く、子供に合理的なお金の使い方を必要に伝授したせいでしょう。見渡せば案外いるものです。これが人格形成に大きくかかわります。子供のころの毎日の習慣は、血肉となって、成長しても反射行動として気質とか癖となってあらわれます。「貧乏人は使う楽しみ、お金持ちは貯める楽しみ」若いころわかったことです。

 また、天才が集まってできる時代や地域があります。それも、切磋琢磨しあい、刺激しあうから生まれることで、一人ぼっちで出てくることは稀です。仲間や、地域や、時代が天才ができるようにと後押しするのです。
 戦後の熊本はそれに近いと思われます。かつて徳富蘇峰、蘆花がいて、谷川雁、健一兄弟に、上野英進、森崎和江、高群和江、石牟礼道子、渡辺恭二等です。世界文学全集に日本でただ一人選ばれた石牟礼道子は谷川雁のサークルで発芽し、秘書役の「逝きし世の面影。黒船前夜。北一輝」などを執筆した渡辺恭二がいたからこそ存在が守られたのです。石牟礼道子は、世界の全体性の復活を古人の生活に密着した記述により彷彿とさせます。日本の国家、政府、大企業、民衆、被害者、死んだ人たち全てに寄り添い、水俣裁判,闘争で本質までたどり着き、彼らに生活者としてのリアリティーを与えました。
 東電や国の震災対応など「日本の昔からのやり方よ」ぐらいの感覚だと思います。だから「苦海浄土」とタイトルにしたのでしょう。世界は苦界、苦海である。それがそのまま、いつの日か浄土ともなるといえる、と言うのです。

 生を受けてすべての環境にうまく適応できる能力は成長にかかせません。脳はそういう風に成長します。しかし、何か一部に不備がある脳の気質は、そこで十全な活動ができないので、他の分野の活動に充てられます。それが天才の始まりです。IQと言われるものとは関係がないのです。整理整頓ができないが、記憶はよいとか、物覚えが悪いが、集中力があるとかです。
 欠落は、「足りない」と「何かに集中」とに分かれるので、昔の人は、気違いと天才は紙一重といったものです。


2013/7/30 近藤蔵人







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