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城下町風情を残す甘楽町・小幡

楽山園武家屋敷歴史民族資料館・大手門礎石雄川堰養蚕農家のまち並み
掲載日:2013/7/22
 群馬県南西部に位置し、北側を富岡市に接する城下町・群馬県甘楽郡甘楽町(かんらまち)。人口は約1.4万人。
 町の中心部には雄川堰が流れ、その周囲には養蚕農家の家並みを始め、大手門跡地などの歴史的建造物が残っています。雄川堰の水は小幡藩の藩政時代以来、近隣住民の生活用水として利用され、大切に受け継がれ、今も澄んだ水が流れ、石積み水路の当時の風情を色濃く残しています。
 また雄川堰から南西500mほどの位置には国指定名勝「楽山園(らくさんえん)」があります。楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園で、昆明池を中心に周囲に築山や遊歩道、茶屋などが配され、周囲の山々や甘楽総合公園の風景などを借景し、人工的な中にも自然公園の中を散策しているような気分を味わえます。
 詳しくは甘楽町の観光案内をご覧いただきたいと思いますが、甘楽町・小幡の雄川堰と楽山園を訪れたのは2012年10月27日、伊勢崎市の景観サポーター活動である「先進都市視察」の一環です。同じ群馬県内の自治体なので、個人的にも仕事やドライブのついでに何度か寄っていますが、この日は、甘楽町の観光案内人である柳沢さんにガイドいただきながらの見学で、個人的に訪れた時よりも中身の濃い見学となりました。(2013/7/22 記)

甘楽町の地図


国指定名勝 楽山園

(群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡648-2。TEL:0274-74-4795)
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 国指定名勝「楽山園(らくさんえん)」は、江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園で、昆明池を中心に周囲に築山や遊歩道、「梅の茶屋」や「腰掛茶屋」などの茶屋が立体的に配され、周囲の連石山(れんせきざん)、熊倉山(くまくらやま)などの山並みや甘楽総合公園の風景などを借景し、人工的な中にも自然公園の中を散策しているような気分を味わえます。群馬県内に唯一残る貴重な大名庭園とのこと。当時ならば一般庶民が入ることなど許されなかった大名庭園、今このように立派に復元されて、僅かな入館料で見学できること、甘楽町の観光に対する意気込みを感じます。
 入園料は高校生以上が300円、休園日は年末12/29~1/1、開園時間は3~10月が午前9時~午後5時、11~2月が午前9時~午後4時です。



拾九間長屋(石垣の外から)

拾九間長屋(園内から)
かつては藩邸の使用人が
暮らしていたとのこと
2012/10/27

楽山園中門(出入口)。高さ7m、門柱間隔4.5m。 2012/10/27

楽山園の説明板



庭門から見る庭園 2012/10/27

拾九間長屋にある園全体のジオラマ


小幡藩邸ジオラマ 縮尺 1/50

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梅の茶屋から眺める藩邸跡地方向。中央後方の建物は長岡今朝吉記念ギャラリー。 2012/10/27

遊歩道


梅の茶屋への分岐

腰掛茶屋

甘楽総合公園方向

遊歩道から見る周囲の山々

昆明池(こんめいいけ) 2012/10/27

昆明池と腰掛茶屋(左)、梅の茶屋(右) 2012/10/27

遊歩道から2つの茶屋方向を見る。昆明池の中には中島あり。2012/10/27

梅の茶屋から腰掛茶屋方向を眺める


飛び石の遊歩道


藩邸跡地

長岡今朝吉記念ギャラリー

井戸(熊井戸)




井戸(熊井戸)を除くと水が見えます
2012/10/27

凌雲亭(休憩所・茶席)


凌雲亭


庭門(後方左)と土塁(右)


空堀(手前)と拾九間長屋(後方)


武家屋敷など

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 街中には武家屋敷や喰い違い郭などが残され、藩政時代の面影を見ることができます。今回は、時間の関係でゆっくりと見学する時間がなかったので、駆け足でいくつかの写真だけ撮って来ました。次回見学時の課題にしたいと思います。

小幡藩織田家初代当主・織田信雄
以降、各代当主を示す幟。
織田信雄(のぶかつ)は
織田信長の次男。
楽山園も信雄の造園。



江戸時代の武家屋敷・高橋家

町中の観光案内



町中の名所説明板



石垣や竹塀
2012/10/27

松平家大奥


大奥説明板



石垣や木塀


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歴史民俗資料館

 歴史民俗資料館は旧甘楽社小幡組倉庫の赤レンガの建物を改装したものです。施設の1階、2階には甘楽町の遺跡や古墳の紹介、小幡藩時代の甲冑や古書骨董、絹産業に使用された器具や製品などが展示されています。
 休館日は月曜日と祭日の翌日、年末年始。開館時間は午前9時~午後4時30分。TEL:0274-74-5957。
 赤レンガ建造物が小幡の街中に残り、観光施設として活用されていること、素晴らしいことと思います。

藩政時代の甲冑の展示

赤レンガ建造物の歴史民俗資料館
2012/10/27

大手門礎石

 歴史民俗資料館が建っているあたりに大手門があったとのこと。現在、その礎石が歴史民俗資料館の道を隔てた反対側にあるギャラリー脇に展示されています。

大手門礎石

大手門礎石の説明板


雄川堰(おがわぜき)

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 雄川堰にはいくつもの見どころがあります。
 まずは藩政時代から住民の生活用水として融け込み、受け継がれて来た雄川堰の清流。流れは自然石で積まれ、シダや苔などの緑が生え、ところどころの段差では清流が白く小さな波を立て、この風情だけでも手入れされた公園を見ているようです。雄川堰は日本の名水百選に選ばれているとのこと。
 そして次には雄川堰沿いに植えられたサクラ並木。今回は秋の訪問だったので桜風景を見ることはできませんでしたが、4月上旬には桜祭り(武者行列)が毎年行われるとのことです。
 そして次には桜並木の脇に並ぶ養蚕農家群。明治中期頃に建てられたと言う大型養蚕農家群が、道路沿いにどっしりと構え、まち並みに重厚な雰囲気を与えています。このまち並みは雄川堰の反対側を走る車道とは別の生活道路で、通行車両も少なく、遊歩道を歩く気分で散策できます。
 →養蚕農家群はこちらで特集。

雄川堰


雄川堰


ところどころに架けられた小さな橋


雄川堰へ降りる石畳
2012/10/27

雄川堰沿いのサクラ並木 2012/10/27


段差で水しぶきを上げる雄川堰 2012/10/27


シダや苔が生え、清く澄んだ水が流れる雄川堰
2012/10/27

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養蚕農家のまち並み

 雄川堰の桜並木と平行して並ぶ養蚕農家群。群馬県では、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が2014年の世界遺産登録を目指していて、伊勢崎市境島村の田島弥平旧宅と藤岡市の高山社が、養蚕農家と蚕の生育方と併せて候補に挙がっていますが、ここ雄川堰沿いの養蚕農家のまち並みも建物規模はそれらと負けず劣らずです。伊勢崎市境島村の養蚕農家群は、各戸がそれぞれ広い敷地の中に建つことと比べて、こちらは各戸が通りに接して建ち、お屋敷町の雰囲気を醸し出しています。









こちらも井戸端
2012/10/27

主屋も門構えも立派な養蚕農家
2012/10/27


2つ櫓付きの大型養蚕農家。門構えは武家屋敷のようです。
2012/10/27


井戸端の修景が親しみと癒しを感じさせてくれます
2012/10/27

車道側のまち並み。左が雄川堰と桜並木。車道は石畳です。
 2012/10/27

雄川堰沿いの養蚕農家群を見学する伊勢崎市景観サポーターの皆さん 2012/10/27

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通りから奥まったところに残る
2つ櫓の養蚕農家


木製の雨戸が歴史を伝えます

黒ずんだ漆喰の重厚感が素晴らしい 2012/10/27

蔵と並んだ総二階の養蚕農家 2012/10/27

この景色、アートな感じです 2012/10/27

お屋敷町のような風景 2012/10/27

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小幡八幡神社の鳥居前の駐車場

雄川堰近くの小幡八幡神社の鳥居

小幡八幡神社周辺の風景 2012/10/27
 過去何度か訪れていながらも、いつも外観を眺めて、その辺を散策し、帰りに道の駅・甘楽でお土産を買う程度の訪問だった甘楽町。今回は「先進都市視察」と題してちょっと堅苦しい訪問でしたが、観光ガイドの方の説明を受け、資料をいただき、そして何より、この記事の掲載を機会に詳しく調べ直して、ちょっと甘楽町のことを知ることができました。

 例えば、過去においては「甘楽町は織田信長に縁がある町らしいよ」程度の知識が、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が小幡に移り、以後8代152年にわたって織田氏・小幡藩として統治したことが分かり、また徳川家康も豊臣家は冷遇したものの、織田一族は厚遇し、この地もその恩恵を受けた事、ただ、藩政を閉じる頃には財政が破綻していたなどを知りました。

 また「雄川堰は桜の季節がいいらしい」程度の認識だったのに、その脇の通りには立派な養蚕農家群が軒を連ねていたことを知り、ここ数年、養蚕農家への興味関心が深まっている私としては、大いなる収穫でした。

 楽山園や周辺の武家屋敷などは全く知らなかった場所で、今までの訪問がいかに素通り的だったかを思い知らされました。また今回の見学が甘楽町の代表的観光施設だったとしても、まだまだ甘楽町の一部です。いつもの想い「知れば知るほど遠のく全体像」です。周囲が黄葉に染まり、また桜の花が軽やかに空を覆う頃、また改めて訪問したいと思います。
(2013/7/22 記)




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