大正五年七月五日発行伊勢崎町報
「『時』を正しく守ることに就いて」
伊勢崎町報 第三号 大正五年七月五日発行(水曜日)伊勢崎町役場
◎「時」を正しく守ることに就いて
諺にも「時は金也」と謂って「時」を大切なることは誰も知らぬ者はないが、然らば其大切なる「時」を果して大切に取扱って居るかと云へば、なかなか爾(そ)うでない。「時」を大切に取扱ふことも、即ち「時」を尊重し「時」を正しく、守ねると云ふことに於ては、残念ながら、我が日本人は西洋人に比して甚だ劣って居ると云はねばならぬ。西洋時間と云へば正確を意味し、日本時間と云へば不正確を意味すると云ふのは、お互に日本人として実に情けない次第でありませんか。
時世の進歩に連れて万事規律正しく敏活に勧かねば勢ひ間に合はない、昔の様に悠々閑々と、しだらなく、やって居るわけにはいかない。随(したがっ)て愈(いよいよ)、益(ますます)、時間を正しく守らねばならなと云ふことは、単に自己の損得の問題のみではなく、公衆に対する徳義の上からして、是非そーせねばならぬのである。と云ふの道理は、誰人も知って居る筈であるが、実際は行はれぬのは如何なるわけであろうか。蓋(けだ)し之は主として永い永い習慣の惰性の産物たる善く云へば「お互いの遠慮」わるく云へば「お互の懸引」の致すところであると思ふ。仮令(たとい)は葬式にせよ、集会にせよ、葬式にせよ、まだ早すぎるだろう、まだろくに集まらないだろう、やーまだ早すぎた出直さうと云ふ様な調子。斯の如き遠慮、懸引は此大正の新時代には全く以て不必要であります。否、此の遠慮、懸引が社会の向上発展を妨くることは極めて大なるものであります。
 埼玉県に「豊岡」と云ふ模範町があるが、此の町で最も貴ぶべき、又吾等の模範とすべきことは「豊岡時間」と称して、何事にも時間が必ず正確にまもらるゝと云ふことであります。
本町も昨年御大典記念事業の一として学校の庭に時報鐘楼を建設したのは、徒に建物の偉観を誇りたいのではない、「伊勢崎時間」と云へば必ず正確を意味する様にしたい。爾うれて大正の新時代に遅れぬように、凡ての方面に於て活溌々地の行動様式を試みたいと云ふ意思に外ならぬのであります。
町民諸君! 町民諸君!! 希くはお互に心を協(カ、あわ)せて習慣の捕はれから脱け出さうではありませんか。
(原文は「大正五年七月五日発行」の「伊勢崎町報」「第三号」の表紙に記載され、漢字カタカナ文で書かれている。今回は、読みやすいようにカタカナをひらがなに直した。ごく僅か表記を改めた。丸カッコは引用者。なお、漢字及び読みについては不確かなものもあり、それが明確になった時点で訂正を行うつもりである。)