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伊勢崎駅南西至近距離を流れる「おなべっ川」伊勢崎陣屋の痕跡を探る



伊勢崎駅南西至近距離を流れる「おなべっ川

掲載日:2011/4/29 画像下の日付は撮影日
 2009年10月に、伊勢崎駅から至近距離の街中に山中の自然のような風景が残されている(→こちら)と紹介しました。

 その場所が昨年度から改修され、2011年4月24日に訪れてみると、ほぼ工事を完了していました。
 工事内容を概観すると、小さな渓流の河床敷高を上げ、蛇行していた河川法線を改良し、中央にコンクリート二次製品の水路を布設し、斜面に生えていた樹木や竹林を伐採し、伐採後の斜面を整形してのり面に植生マットを張った・・・と言った内容のようです。
 赤坂川合流地点では周囲との高低差の関係か、小さな砂防ダムが築造されています。
 水路脇や同聚院側の堤防上には通路が作られていますが、道路(「廓新道」)との境界には鍵の付いたフェンスが設置されているので、自由な往来はできないようです。

 伊勢崎駅からの至近距離に残された渓流のような風景が珍しくて、赤石地区をサイクリングする時に好んで訪れた場所ですが、改修前の雰囲気もそれなりに残され、また特に同聚院の裏側は改修前の雑然とした姿と比べると大きく改良されました。
 次回は、全体工事を終えて植生マットの緑が定着した頃に、同聚院側からの風景も加えて紹介しましょう。(2011/4/29 記)

区間中央を南北に通る道路(*1)から上流側(東側)を見る。
右後方は同聚院の敷地 2011/4/24

(*1)「廓新道
 この川は、その昔「おなべっ川」と呼ばれ、橋の名は「城北橋」。
 上を通る道は明治時代、伊勢崎陣屋と太田村(後に安堀村、波志江村と合併し三郷村となる)とをつなぐ「廓新道」として造られました。「城北」と言う由来を考えると、この当時は伊勢崎城(赤石城)の城跡が残っていたのかも知れません。

廓新道」から上流側(東側)を見る 2011/4/24

赤坂川との合流地点には砂防ダムが築造されました
2011/4/24
赤石地区を中心とした街中風景同聚院『赤石』まちづくりワークショップの活動報告




おなべっ川・改修前の様子

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 伊勢崎駅から南西方向に直線距離でおよそ300m、そんな街中に山中の自然のような風景が残されています。
 写真で切り抜くと更にその雰囲気が助長されますが、実際は住宅地の中にあります。
 この風景の中にある道路「廓新道」は車がすれ違うことも難しいほどの幅で、外部から入って来る車に出会うことはまれですが、もし自転車や徒歩でこの地を通過すれば、きっとこの風景に驚き、足を止めることと思います。
 赤石楽舎や伊勢崎図書館にでも出向いた折には是非とも足を運んでみてください。(2009/10/30 記)

竹林と小さな谷と渓流 2009/10/25


おなべっ川(城北橋の上流) 2009/4/11



赤坂川との合流地点 2009/10/25



人里離れた農家のような風景ですが
駅から400m余りです。
2009/10/25

おなべっ川(城北橋の上流)
竹林と小さな谷と渓流。水は清流です。
周辺の地下水が溜まるのでしょうか。
2009/10/25


道路脇に立つ庚申塔(曲輪町)
安永7年戊戌年(1776年)建立
2009/10/25

2009/4/11


三ツ家橋北詰へつながる坂道。
写真で上手く伝えることができませんが
結構な急坂です。 2009/10/25

同聚院裏側の改修前の雑然とした姿。真ん中を流れるのは「おなべっ川」 2010/3/21


同聚院から伊勢崎駅方面を見ると、竹林の間から完成間近い高架駅が見えます。 2010/3/21

伊勢崎陣屋の痕跡を探る

掲載日:2015/1/18 ▲ページTopへ
 過日、「当サイト掲示板」に鳩ぽっぽさんから「伊勢崎城、最後の遺構」と言う投稿が寄せられました。その後、私・丸男とぷうぷうちさんも加わり話題を展開しましたが、この話題の核となったのが「伊勢崎陣屋の重ね図」。たまたま知人のSさん(海彦山彦さん)が作成しウェブで公開している資料ですが、より鮮明な画像への要望があがったため、オリジナルPDFファイルを送っていただき、サイズや建造物名、河川名等を加筆して、ここに掲載した次第です。伊勢崎城への興味関心ごとの参考にご利用ください。画像を全体表示するには縦横スクロールバーで移動してください。ディスプレイのフルサイズで表示したい場合は→こちらをクリックしてください。(2015/1/18 記)

伊勢崎駅周辺と伊勢崎陣屋跡(縦横スクロールバーで全体表示)





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