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武士古墳群 投稿者:鳩ぽっぽ 投稿日:2014/02/27(Thu) 21:07 No.1283
トクチャン、丸男さん、お返事ありがとうございます。
今日は仕事の関係で境西中学校へ行ってきました。長い間、仕事の行動エリアとしていたこの地域が、なんと古墳銀座とも言える「武士古墳群」(たけしこふんぐん)であったことを、今月に入ってからGo!伊勢崎さんの掲示板を通して知ってとても驚いてます!
太古の利根川、渡良瀬川がこの地で合流し御嶽山はじめとした起伏の多い丘陵地帯が造られ、縄文狩猟時代から人々の住かとして、そして古墳時代は天神山の首長一族が栄華を極めたこの地も、まさに「偲ぶ毛野国」の歴史の檜舞台でありました。
写真は昭和56年度の調査報告書にあったもので、先日投稿させて頂いた武士古墳群の地図でドット柄の「調査区」となっているエリア内にある「南部区域」の風景です。
現在の総合グランドから東南方向を向いて撮影されており、左奥の白い建物が現在は改修されて紺色の外壁になっている境西中学校の体育館です。
手前の雑草で覆われた起伏地は、古墳群地図中にもある旧剛志村第6号、13号、8号、12号古墳(いずれも円形)の辺りだと思われます。
現在ここは総合グランドの南端にあるバックネットとトイレのある辺りなのでしょう。その南側はすぐにプールになってます。写真の起伏地の前を横切る細い道路は今はなくなってグランドになってます。
当時はまだ写真のような地形が残っていたことと、グランドとなった現在ではとても想像できない起伏地の光景だったので、この写真を初めて見た時は驚き桃の木でした。
にわかTTさんが以前アップした1947年10月の航空写真でも、現在のプールからこの辺りにかけては鬱蒼とした雑木林に覆われ、トクチャンが言われたようにこの辺りはまさに「ヤマ(雑木林)と塚(古墳)だらけ」の風景だったようです。
丸男さんが新しく作成してくださった古墳マップを見ても、境プールとその北のグランド南部に集中して古墳が築造されたのがよくわかります。
調査報告書によるとこの「ヤマ」の中から、6世紀後半〜7世紀の築造と考えられる外径30メートル弱の4基の円形古墳が集中して確認検出されています。

添付:1283.jpg (177KB)
Re: 武士古墳群 - 鳩ぽっぽ 2014/02/27(Thu) 21:24 No.1284
「調査区、南部地域」となくなった道路をはさんですぐ北側は「北部地域」とされ、前年の55年度に調査が行われました。
こちらのエリアからは写真のような優美な形をした「帆立貝式古墳」が発掘されました。こちらはトクチャンも語っていた「旧剛志村79号古墳」で、全長28メートル、円形部径22.5メートル、6世紀後半の築造と考えられています。
写真奥の白い建物はやはり境西中学校の体育館で、道路の向こう側に見えるのがさきほど紹介させて頂いた「南部地域」になってます。
また、79号の帆立貝式古墳の西隣には、径34メートルある大型円形古墳の「78号古墳」が発掘されてます。この二つの古墳は共に「N−25〜27−W」といった近い主軸方位で仲よく並んだように見え、族長とその妻の墓だったのでしょうか?