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1947年の豊東橋付近の広瀬川 投稿者:丸男 投稿日:2014/02/14(Fri) 13:41 No.1216
以前、にわかTTさんがアップしてくれた1947年の航空写真、
私も今朝、地理院のサイトから表示・DLしてみました。何と、これは米軍の撮影なんですね(@_@)。
この画像に現在の広瀬川を重ねてみました。
拡大縮小・回転の合わせ点は、下蓮交差点、武士橋たもと、勝山神社などです。

広瀬川が島村付近の利根川に負けず劣らずの暴れん坊だったんですね。
随分大幅な河川改修だったようで。
河川や地形がスマートになりますが、ちょっと情緒や味わいが欠けるような(ー_ー)。
以前、右赤城のページを編集した時点では作成しなかった、こんな画像を作成してみました。


添付:1216.jpg (161KB)
Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - トクチャン 2014/02/14(Fri) 14:48 No.1218
曖昧な記憶で、ご迷惑をかけてすみません。たったいまもう一つのところへコメントを書きました。
親や祖父母がこの世にいないため、記憶で書いてます。すみません。


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - トクチャン 2014/02/15(Sat) 10:41 No.1226
先ず、皆さんに、大雪のお見舞いを申し上げます。怪我の無いようにどうかご注意ください。
改めまして、丸男さん、にわかTTさん、鳩ぽっぽさん、丸男さんの新たな地図を見ていただきたいのですが、写真の中に広瀬川に沿った場所ですが剛志小学校がお分かりになりますか?その西隣に雑木林がありますが、林の東側の山、後円部を北側にして前方部が広瀬川の崖まで達しているように見えますが、前方後円墳に見えませんかね?この山は西中学校を建設する時に削られたと聞いています。削られた山の西側は僕が子供の頃まで一部が残っていました。昔はこの山の下は広瀬川に削られた崖になっていました。この山の上から昔の子どもたちは、崖下の広瀬川に釣糸を垂れて釣りをしてました。地元の方に聞くことができればいのですが、それか、どなたか上毛古墳綜覧で確認できるといいのですが。あくまで見えるだけで、古墳の確証はありません。すみません。


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - 丸男 2014/02/15(Sat) 18:04 No.1234
トクちゃん、こんばんは。
今日は午前10時から午後4時まで、カーポートの雪おろしと通路の雪かきをしていました。
庭の積雪量を測ったら、深いところでは90cmありました(@_@)。
生まれて初めて体験する大雪です。
近所では、2台用のカーポートが壊れて、車も破損したお宅もあります。
屋根の雪が落ち切るまでは、不安です(ー_ー;)。

ところで、剛志小学校付近の様子、No.1216でアップした航空写真のオリジナルサイズをアップしてみます、
No.1216より多少大きく見ることができます。


天神山古墳跡地の標識 - 丸男 2014/02/15(Sat) 18:18 No.1235
この標識柱が天神山古墳跡地に立っています。
「境地域いきいきアイ」が平成23年度地域活性化事業で建てたものです。
境の総合グランド西に立っています。
「境地域いきいきアイ」の知り合いが、この標識が古墳のどの位置なのか、
知っているかも知れませんので、いつかの機会にきいてみます。


天神山古墳跡地標識の位置図 - 丸男 2014/02/15(Sat) 18:32 No.1236
この地図は、同じく「境地域いきいきアイ」が作成した標識柱写真集に載っている地図ですが、
ラフスケッチなので、詳細な位置の特定は難しい感じです(ー_ー;)。


天神山古墳跡地・グーグルストリート - 丸男 2014/02/15(Sat) 18:53 No.1237
グーグルストリートビューに写っている天神山古墳跡地の標識です。
標識の脇に、元の前方後円墳の形状や寸法、現況との位置関係が描かれた説明板が欲しい所です。


天神山古墳跡地標識の位置図 - 丸男 2014/02/15(Sat) 19:02 No.1238
現在の地図に天神山古墳跡地標識の位置を記してみました。
この後、この位置を1947年の航空写真とマッピングさせてみます。
でも、この標識の位置が前方後円墳のどの位置になるんだか知りたい・・・(ノ_<;)



天神山古墳跡地の標識+航空写真 - 丸男 2014/02/15(Sat) 20:05 No.1239
天神山古墳跡地の標識を1947年の航空写真に重ねてみました。
赤い●印です。
ただ、長さ127m相当の前方後円墳らしき地形を特定できません。
どうにか東西に丸い形状をした地形があります。
消えた古墳の位置の特定・・・、なかなか手ごわい(ー_ー;)


天神山古墳跡地の標識 - 鳩ぽっぽ 2014/02/15(Sat) 21:08 No.1243
丸男さん、天神山古墳の標識が、遂に登場しましたね!
「おのおの方、この標識が目に入らぬか!」と水戸黄門様の印籠が出たのを見るような思いで驚いてます!!
そうすると、トクチャンは助さん、にわかTTさんは格さんだったのでしょうか!
またまた、丸男さんが解っていて、これをすぐに登場させない所がよかったです。
まるで、幻の古墳をめぐるミステリー小説のような展開となって、雪降る晩をいろいろと思いめぐらし楽しかったですね。
更なる詳細な位置の特定等々、丸男さんはじめGo!伊勢崎の皆さんがどこまで古代の謎に迫れるか?これからも楽しみにしてます!


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - にわかTT 2014/02/15(Sat) 21:51 No.1244
おっと、こんなしっかりした標識があったのですか。
現地の情報がしっかり有るのですね。さすがGo伊勢崎さん。
埴輪の写真などを見ていると、境上武士という地名は良く目にする名前でした。
今回トクチャンや丸男さん、鳩ぽっぽさん、皆さんのおかげで色々知ることができて、この話題に首を突っ込んでよかったと思っています。


天神山古墳跡地の標識 - 丸男 2014/02/15(Sat) 18:18 No.1235 - トクチャン 2014/02/16(Sun) 00:44 No.1247
丸男さんへ
ありがとうございます。

「境地域いきいきアイ」の知り合いが、この標識が古墳のどの位置なのか、
知っているかも知れませんので、いつかの機会にきいてみます。

お手数を掛けますが、よろしくお願いいたします


天神山古墳跡地 - 丸男 2014/02/16(Sun) 09:13 No.1250
鳩ぽっぽさん、トクちゃん、にわかTTさん、おはようございます。
こちら、波志江町台所山では、まだ窓外の風景は銀世界です(^^;)。

天神山古墳跡地の標識ですが
設置位置は境町サイクリング&取材時に確認したり、
「境いきいきアイ」の冊子も所有していたり、あれこれと資料は持っていたのですが、
なにせ、現状では、その痕跡を少しも確認できず、
「境いきいきアイ」の冊子に掲載されている手描き地図も相当にラフで(編集の皆さん、スミマセン)
にわかTTさんが紹介してくれた1947年の航空写真にもそれらしい姿を明確に発見できず、
紹介を躊躇していました。
それならば、1947年の航空写真やトクちゃんの子どもの頃の想い出を参考にしながら
掲示板による「古墳探しの旅」に出てみたいと思った次第です。
遺跡や古墳、郷土史は大好きなので、あれこれと資料も持ってたりしますので、
これからも皆さんと一緒に古の時代へのタイムスリップを楽しみたいと思っていますので
どうぞよろしくお願いします。

それと、この掲示板の例幣使や古墳話題、私ら同様に楽しんでみている友人・知人が数人いまして、
彼らからもオフで情報を得たりしています。
右赤城から徒歩数分の友人もいます(^^;)。


天神山古墳推定地 - トクチャン 2014/02/22(Sat) 13:10 No.1264
丸男さん、すみません。パソコンに詳しくないので画像の貼り方が分かりません。にわかTTさんの航空地図から古墳ではないかと思うところに線を引いてみたので画像を貼りたいのですが・・
お忙しいところ、すみません。一応、僕のやり方で貼ってみますね。画像が出るといいのですが・・
丸男さんの写真からコピーしたのですが、データが大きすぎるとエラーが出てしまいました。後で僕のブログに貼ってみますね。


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - 丸男 2014/02/22(Sat) 13:43 No.1265
トクチャン、こんにちは。
画像のサイズが大き過ぎたのでしょうか。
現在は最大360KBの制限を設けています。
古墳らしき場所の画像、是非見てみたいです。└(^o^)┐
取り敢えず、写真を貼る手順を貼り付けます。


天神山古墳らしき墳形 - トクチャン 2014/02/22(Sat) 16:59 No.1267
丸男さん、ありがとうございます。こちらのサイトから画像をコピーして私のパソコンに取り込み、線を引いて保存すると、なぜか画像の容量が大きくなってしまいエラーが出てしまいます。もし可能でしたら、私のブログであればこの容量でも貼ることができます。サイト外になりますが・・・こちらの画像に線を引いたものをアップしてもよいでしょうか?すみません。パソコンに暗いので上手く出来ずにご迷惑をおかけします。

Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - 丸男 2014/02/22(Sat) 18:50 No.1268
トクチャン、こんばんは。
ひょっとして、保存時の解像度の設定が高いですかね?
いずれにせよ、私が加工してアップした画像ならば、どんどん自由に使ってください(^o^)。
にわかTTさんや鳩ぽっぽさんがアップした画像も、きっと大丈夫と思います。
お二人さん、大丈夫ですよね。└(^o^)/


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - にわかTT 2014/02/22(Sat) 20:19 No.1269
丸男さん、トクチャン、こんばんは。
特集記事にしていただいて、またまた情報が集まるとイイですね。
画像使用は問題無いですよ。(自分も無断参照している訳で・・・)

雪の後遺症ですが、足・腰・肩に出て治りが悪いです。物損も僅かですがでています。
被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。



Re: 天神山古墳推定地 - 鳩ぽっぽ 2014/02/23(Sun) 01:05 No.1270
丸男さん、トクチャン、にわかTTさん、かなりアバウトですが剛志古墳群のレイアウトをイメージしてみました。あくまでイメージということで、これをたたき台として皆さんが正確な位置を割り出せたら嬉しいです。
できればトクチャンの天神山古墳推定地を見てから作図したかったのですが、すみません待ち切れずに投稿してしまいました。^ ^; 拝見できるのを楽しみにしてます。

今回は前方後円墳の、前方部から後円部にかけての中心線(主軸)の向きについて少し調べてみました。
前方後円墳を築造する際に主軸の方向性についてはおおかた決まった法則はなく、ある地域の中でもあっち向いたりこっち向いたりのバラバラなケースが多いようです。
しかし、例えば周濠に水を引く場合などに、築造する場所の地形に左右されて方向性が決まってくることはあるようですね。
また、ある古墳群では同族の墳墓であった場合は、同じような方向性で並んで築かれることもあるでしょう。
前方後円墳では石室等、埋葬者の葬られる古墳の主体部は後円部にあることが多く、一方、前方部(前庭部)は祭祀(さいし)の場と考えられているようです。
その場合、儀式は前方部の前で古墳主軸の後円部の方向に向かって行われ、更に投稿画像のピンク色のラインの示すように、その主軸延長線上には豪族の居館(オレンジ色の部分)があったといった説も立てられてます。代表的な例としては大室古墳群があげられます。
お墓が居住地の方を向いているので、首長亡き後も主(あるじ)が一族を見守っているような死者との一体観を持ちたかったのかもしれませんね。
作図は現在のグランドの辺りに三つの前方後円墳を配置し、剛志小学校の北東辺りに居館があったと仮定してイメージしてみました。
下武士の剛志小学校から東方面〜武士橋辺りにかけての一帯も、三社神社古墳、法光寺古墳はじめ古来から由緒ある地域で、剛志小学校付近では集落跡も発見されたようです。
またまた、黄色で塗りつぶした田畑は川の流れた跡のようなアールを描いており、天神山古墳と距離は離れてますが、見方によっては周濠の外濠のようにも見えたのがおもしろいところです。


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - トクチャン 2014/02/23(Sun) 09:23 No.1271
皆さん、ありがとうございます。さっそく私のブログで画像を使わせていただきました。
私のあったと思われる場所は、地図から分かった墳丘の一部の地形(・・・畑の区画からで、後から山を開墾して作られた畑は丘陵上に作られるため周りの畑とは区画が違うことが多いからですが・・・)と、幼い頃の記憶から山があった場所を主に検証してみました。ここには前方後円墳以外にも大小の円墳がたくさんありました。子供の頃、わずかに残っていた山の上に立つと広瀬川を眼下にして、利根川からはるか遠く武蔵野國方面が一望できましたし、周囲の山も見渡すことができました。ここに本拠を持った豪族が上野毛君一族であれば、赤城山を拝したでしょうしそうでなくても、秩父の山々から、奥多摩や、甲州方面も拝すことができたことでしょうね。今でもオンタテヤマ(下蓮ではタテノヤマ)に立つと、360度が見渡せ古代のロマンをかきたててくれます。私からも皆さんからのご意見をお待ちいたしております。ありがとうございました。


Re:天神山古墳推定地 - 鳩ぽっぽ 2014/02/23(Sun) 21:25 No.1272
こんばんは。さっそくトクチャンのブログを拝見しました。私の想像図は大幅に外れてましたが、想像ではなく、上武士天神山古墳と周辺古墳群のレイアウトが具体的に解ってきて感謝です!
ここで恐れ入りますが、トクチャンのブログの画像をもとにして昨日の想像図を作り直してみました。
ブログの記事によると、
(3)トクチャンが、古墳があったと聞いている場所に残る畑の区画をもとに推定した上武士天神山古墳の位置。
(2)と(5)の辺りが、トクチャンが小学生の時、粕川で水浴びをしながら土砂の採取を見た山がこの辺りだということでした。天神山古墳はじめ三つの古墳の土が八斗島に運ばれたのが昭和41年ですから、ちょうどその頃でしょうか・・・
(4)のところに方形の墳丘らしき場所が確認できるそうです。
(1)は前方後円墳の形に見え、丸男さんが見つけた古墳かもしれない場所です。
(6)は「オンタテヤマ」の館(砦)があったであろう場所に私が書き加えたものです。
トクチャンがよくブログで「オンタテヤマ」と呼ばれる山は、一般的には「御嶽山」ですが、下蓮では「タテノヤマ」と呼ばれておりそれが本当の呼び名のようです。「タテノヤマ」は「館・舘」の山ということで昔ここに砦があったようです。それを聞いて納得!御嶽山の山頂付近からなら遥か遠くのかなたまで見晴らしは最高だし、砦には絶好の地形でなるほど〜と思いました。


天神山の場所について - トクチャン 2014/02/24(Mon) 15:09 No.1273
鳩ぽっぽさん、画像の掲載をありがとうございます。
何点か補足いたしますね。私が引いた線は上空から畑の区画や小道を元に引いております。さらに確認できた後円部の曲線から後円部は点線でこうではないかと表しております。あくまで上空からの確認ですので、鳩ぽっぽさんが着色された墳形が必ずしもそうだとは限りませんので、ご了承ください。またタテノヤマの北東や東側に引いた線は墳形の形を表すものではありませんので、こちらもご注意ください。言葉が足りず申し訳ありません。万が一間違いがあってはいけませんので、よろしくお願いいたします。それからタテノヤマの東側に前方部を確認できた箇所がありますので、後ほど、私のブログでご紹介いたします。お願いばかりで、すみません。


Re: 天神山の場所について - 鳩ぽっぽ 2014/02/25(Tue) 00:36 No.1274
トクチャン、補足をありがとうございます。このテーマにトクチャンが慎重に取り組んで下さっていることに何より感謝致します!
「遺跡ウォーカー」というサイトで上武士天神山のデータを見直してみたら、主軸の方位らしきが出てました。
しかし・・・「方位N155度E」といった専門的な表記で、私のような古墳オタクのレベルではいささか難解です。
単純に解釈すると、「前方後円墳の主軸が北(N)から東(E)にかけて155度の角度で築造されている。」ということでしょうかね〜?
土木建築、或いは橋梁設計の分野でも、建造物のこういった表示をすることがあるでしょうか?
トクチャン、丸男さん、にわかTTさんはじめ専門家の方々のお知恵もお借りしたい所ですので、どうぞよろしくお願い致します。

前方後円墳の方位については、先日、少し紹介させて頂いた説の他にもネットでは様々な説が飛び交っているようです。
おもしろいと思ったのは、前方後円墳が被葬者の生れ故郷を向いて築かれているケースです。これは恐らく前方後円墳の主軸が、誕生→現生→来世へと続くラインとなっているのでしょう。
またまた、富士山はじめ信仰の対象になる山に向いているというのもありで・・・
N155度Eの方位で築造された上武士天神山古墳は、はたして何処を向いているのでしょうか?
被葬者が穂積親王であれば奈良の方を向いているのでしょうか?それとも、上毛野国の心のふるさと、赤城山を向いているのでしょうか?まさに古代のロマンですね。


Re: 1947年の豊東橋付近の広瀬川 - 丸男 2014/02/25(Tue) 13:45 No.1275
鳩ぽっぽさん、天神山古墳始め、剛志付近の古墳群が徐々に解明されつつありますね。(^o^)
ところで、
「方位N155度E」
は、鳩ぽっぽさんの「主軸が北(N)から東(E)にかけて155度の角度」で正解と思います。
測量的に言えば、「方位が北(N)から東(E)に向かって時計回りに155度」となるでしょうか。


Re: 天神山の場所について - 鳩ぽっぽ 2014/02/25(Tue) 22:53 No.1276
丸男さん、お知恵をお貸しくださってありがとうございます。
「時計回りに155度」だったですか〜、さすがプロフェッショナルですね!(^o^)
今日はついに境町の図書館に行って「境町史歴史編」や教育委員会の出した「武士遺跡発掘調査報告書」等の資料をいくつか借りてきました。
上武士天神山古墳についてトクチャンが 02/11(Tue) に最初の投稿をされてから今日でちょうど2週間ですが、これで消滅した天神山古墳の位置や主軸の角度が特定できそうです。
投稿させて頂いた画像は資料の中にあった「武士古墳群と調査区」という地図で、昭和10年(1935年)の「上毛古墳綜覧」の地図がベースになっているようです。
ドット柄になっている「調査区」(昭和55年度の調査)が、現在の総合グランドから南のプールにかけての場所で、「上武士天神山古墳」の位置は以外にも「調査区」の西隣の畑の中、前方後円墳の形にNo.30とふってある所でした!!
No.30という番号は『上毛古墳綜覧』で掲げた名称が「剛志村30号墳」だからでしょう。
前方後円墳の印を囲っている不当辺三角形状(実際は四角形)の道路は現在も残っており、グーグルマップや現地でおよその位置が特定できそうです。
また、丸男さんが教えてくださったグランド入口に立つ古墳跡地の標識柱から、そのまま西に40〜50メートル移動した辺りじゃないかと思います。
地図中にある前方後円墳の主軸の角度は、(この地図は多少傾いてますが)前方部を北北西に後円部を南南東に向けて、まさに「方位が北(N)から東(E)に向かって時計回りに155度」になっているようですね!
1947年の航空写真もよ〜く見ると、同じ位置に後円部の丸がわかります。
ここまで解明できて、トクチャン、丸男さん、にわかTTさんに心から感謝してます。ありがとうございました。
詳しくはまた投稿させて頂きます。


Re: 天神山の場所について - 鳩ぽっぽ 2014/02/26(Wed) 21:38 No.1277
スレッドを振り返ると、丸男さんが15日のコメントで「天神山古墳跡地の標識を1947年の航空写真に重ねてみました。赤い●印です。ただ、長さ127m相当の前方後円墳らしき地形を特定できません。どうにか東西に丸い形状をした地形があります。」と書かれていたのを見つけました。
この標識の「西」の丸い形状をした地形・・・これが上武士天神山の後円部の痕跡なのでしょう。
直系28メートル、米軍撮影の航空写真では小さな「丸」なので、誰もが見落としていたのでしょう。

その他、上武士天神山古墳について「境町史」に記されていた内容をまとめてみました。皆さんとシェアできたらと思います。( )内は私のコメントです。
天神山古墳は武士(たけし)の四つの丘陵の中の最も高い丘の頂上部に造られた。(その丘陵も今では跡方もなく平らな畑になってしまいました。)
まわりの古墳を一望できるこの古墳は、武士古墳群の中の最有力者であったことは確実である。
墳丘の現在残っている部分は後円部で東西28メートル、高さ2.5メートル。(画像の「天神山古墳外形実測図」にもありますように、こちらの調査当時(昭和40年代?)は墳丘が僅かに残っていた。)
墳丘の裾部分の調査では円筒埴輪が20cm間隔で並べられていた。また、人物・動物埴輪の破片があり、円筒埴輪列の内側に置かれていた可能性が高い。
石室は破壊され消滅しており、形、造りなどは不明。ただ、使われていた石材は榛名山の角閃石安山岩(軽石)で造られていたことははっきりしている。石室の遺物は玉類があったことは確実である。
昭和10年調査の報告書「上毛古墳綜覧」では、この付近(上武士宮前、西久保)に三つの前方後円墳があった。
1、剛志三〇号(天神山古墳)、所在:上武士宮前、全長:四二○尺(126メートル)、高さ:十八尺(5.4メートル)、備考:馬犬猪埴輪玉類、伝穂積親王墓
2、剛志五〇号、所在:西久保、全長:八四尺、高さ:九尺、備考:御嶽山続にあり、円筒埴輪
3、剛志五三号(御岳山古墳)、所在:西久保、全長:百五十尺、高さ:五尺、備考:御嶽社 石郭ありし
(三つの古墳ともに先日投稿させて頂いた地図で、古墳の番号により位置は確認できます。50号、53号もよく見ると小さな前方後円墳の形で表示されてます。)
武士古墳群は昭和10年の古墳分布調査では、前方後円墳5基を含む100基の古墳が存在したが、昭和40年には7基が残っただけという状況であった。これを群馬大学尾崎喜左雄の指導で松村一昭が発掘調査した。そのきっかけは伊勢崎市八斗島工業団地の造成の土採りのための事前調査として実施されたものである。
上武士天神山古墳は「上毛古墳綜覧」では全長:四二○尺、高さ:十八尺と記録されているが、実際はそれよりも小規模であった。開墾によって破壊が進んでおり調査の結果でも確認できなかった。しかし、立派な埴輪が出土したことが知られており、丘陵頂部に前方後円墳の形式で造られたこの古墳が、武士古墳群の中核の位置を占めていたものであることは疑いない。
横穴式石室の石材の中に榛名山から6世紀中ごろ噴出された軽石(角閃石安山岩)を使用していたのも特筆される。
旧利根川が最も東を流れた跡とされる広瀬川と近い位置にある条件から、石材が得やすかったこと、加工が容易であったことが原因で、利根川の流域に近い地域では競ってこの石材を使用した時期があった。このことからも上武士天神山古墳は、榛名山二ツ岳の爆発した6世紀中ころ以降の構築であることは間違いない。
また、埴輪の造り、技法、組み合わせなどで後期古墳に共通な葬送儀礼を表現したものと見られる。形象埴輪とすれば終末に近い時期のものと考えられ、それらを勘案して、この古墳は6世紀末から7世紀初めのものと見てよさそうだ。


天神山の場所について - トクチャン 2014/02/26(Wed) 22:04 No.1278
ようやくコメントの時間ができました。鳩ぽっぽさん、ありがとうございます。私が場所の確定に慎重だったのは、高齢の親戚の者が「今のグランドのあたりよか、ちぃ〜っと西のほうだんじゃねぇかなぁ」という記憶と、僕自身の記憶では、西中の西に山があって、山の南側は広瀬川の崖になっていました。道は西中の西側から北へ曲がり、鍵型に西へ向かい、たぶん、グランドの西側の道だと思いますが北へ曲がると西側に盛り上がったような場所があったとような気がします。タテノヤマの直ぐ東側にもこんもりした雑木林のある山がありました。このタテノヤマ東側の山がNO.50の前方後円墳で、僕が3と表した前方後円墳らしき場所がNO.78の前方後円墳になるんですかね??・・・
天神山古墳は鳩ぽっぽさんがお示しくださった場所で確定ではないでしょうか。篠木さんが書かれた消えた3古墳とは前方後円墳なんですかね?余談ですが子供の頃、天神山は「宝の山」と呼んでたと聞きました。掘れば宝が出てくるからそう呼んだのでしょうね。篠木さんが書かれてた通り、宝を掘り出すため徹底的に破壊されたようです。天神山周辺の古墳から掘り出された埴輪は良い物はそのままの状態で、割れた物は、頭や胴体を後家合わせされ、東京などに集められ、海外へ売られたものもあるようです。きっと瑪瑙、翡翠、水晶といった装身具、金を使った馬具、金具の付いた直刀、銅鏡、武具、といった一級品の副葬品が出たのでしょうね・・
記憶だけで地元の資料がなかなか見られず、色々と振り回す結果となりすみませんでした。



トクチャン、はじめまして! - あおぞら 2014/02/26(Wed) 23:33 No.1279
トクチャン、突然の割り込み、失礼します。
上州弁のいせやさんの友達の、あおぞらと申します。よろしくお願いします!

皆さんの熱心で迫力一杯のコメント、すごいな〜と思いながら、いつも拝見してました。
今は消滅した太古の古墳をいろんな角度から皆さんで探し当てるなんて、なかなか聞いたこと無かったし面白いなーと思います。

ところで、トクチャンのブログも拝見したんさねぇ。まぁず、可愛らしいワンちゃん埴輪に、見ていて癒されちゃったいねー。
貴重な古墳がほとんど壊されてしまったことは、今となっては、どーしょもねえ事なんだけんど、ホントに残念だいねぇ。

>記憶だけで地元の資料がなかなか見られず、色々と振り回す結果となりすみませんでした
って、トクチャンは言ってるけんど、あたしは、とっても楽しかったし、勉強になりました!
これからも、よろしくお願いします!(いっさき弁のご指導も期待してらいねー!) 


トクチャンへ 追伸です。 - あおぞら 2014/02/27(Thu) 00:07 No.1280
トクチャン、そう言えば上州弁のいせやさんが、『自分はコメントしても、どうしてもキツイ言葉のいっさき弁になってしまって・・・』と悩んでたけど、
トクチャンのブログと出会ってからは、『スムースで流れの良い、“ソフトいっさき弁”をマスター出来た!』と喜んでいました。

そんな私も実は東京育ちなんよ〜。(多摩地区だから郊外さね)群馬・伊勢崎に住んで今年で10年目なんさ。
ってことは、トクチャンと逆なんよ〜。最近いっさき弁が面白くって、早くマスターしたいと思ってるんさねぇ。
ところでトクチャンは《群馬方言かるた》ってご存知ですか?このかるた、なっから面白くって勉強になるんさねぇ。
どうも、ながながと失礼しました。脱線してしまって、わりぃんねぇ。


天神山の位置を地図に重ねて見ました - 丸男 2014/02/27(Thu) 18:47 No.1281
トクチャン、鳩ぽっぽさん、こんにちは(^o^)。
トクチャン
>記憶だけで地元の資料がなかなか見られず、色々と振り回す結果となりすみませんでした。
とんでもありません。あおぞらさんと同じく、十分に楽しんでいますから、全くノープロブレムです。
トクチャンの投げかけがなければ、これだけの規模の古墳があったこと、知らずに過ぎていました。
きっかけを作っていただいて、感謝しています。

ところで、鳩ぽっぽさんが投稿してくれました、「境町史歴史編」に示される天神山古墳の位置ですが、
これを現在の地図に重ねてみました。
・・・そうすると、トクチャンの記憶の通り、また
親戚の方の
「今のグランドのあたりよか、ちぃ〜っと西のほうだんじゃねぇかなぁ」
の通り、グランドの西、今の標識の位置よりもちょっと西の方になりました。
「境町史歴史編」の地図が全くピッタリと今の地図に重なりませんが、
その辺の誤差を推測しても、今のグランドよりも西の方みたいですね。


Re: 天神山の位置を地図に重ねて見ました - 鳩ぽっぽ 2014/02/27(Thu) 20:32 No.1282
丸男さん、トクチャン、こんばんは。さすが、素晴らしい古墳マップができましたね!
今日は現地に行って天神山古墳跡の確認をしてきました。
古墳跡地のある畑は、今でも周囲よりわずかに高くなっており多少の高低差がありました。
また総合グランド入口にある標柱をよく見ると、白地に《 西 重文埴輪「犬・猪」出土地》と、「西」という字があったので驚きました。「この標柱よりも西だよ。」という意味だったのでしょう。
この標柱は丸男さんの写真でも拝見できたわけですが、すっかり「西」の字を見逃してました。
今を思えば、ここにも古墳の位置を知る手がかりが記されていたわけですね。
こうしたさりげない伏線が敷かれていたのも見逃してしまい、掲示板はミステリー映画のようなスリリングな展開となってとても楽しかったです!