Go!伊勢崎 はちす権現山公園(権現山遺跡) [ 公園一覧遺跡と古墳 ]  [ Home ]




サクラ風景新緑旧石器遺跡、古墳
更新:2010/2/19
 はちす権現山公園はその名の通り「はちす権現山」の公園です。
 「はちす権現山」は伊勢崎市が平成17年に合併する前では一番大きな山だったと思います。群馬県内の他の自治体から見れば「これは山ではない。ただの丘だ」と言われそうですが、ほとんど平坦地の伊勢崎市にとって華蔵寺山やお富士山と並び数少ない立派な山です。もっとも「はちす権現山」も「華蔵寺山」も「お富士山」もみんな古墳なのが伊勢崎市らしいところですが。今は赤堀町と合併したのでもう少し大きくて高い山が仲間入りしたと思いますが、その紹介は別のページに譲りましょう。
 「はちす権現山」は周囲を住宅街に囲まれ、山全体にアカマツが多く、一年中緑に覆われています。標高はたかだか94mですが遠くからでも住宅地の中にポッカリとお椀を逆さにしたような姿が見えます。
 山頂のちょっと下には蓮神社の境内があります。山への入口はいくつもあり、近所の人の散歩道の入口、赤い鳥居をくぐる入口、神社の参道の石段の入口、車も通れる広い入口、ざっと数えただけでも8ヶ所はあります。
 楽しいのは山の中の遊歩道に自然の雰囲気がそのまま残されている点です。道の線形も自然の地形の曲線やアップダウンがそのままで、路面にはコンクリートやレンガ等も敷設されていないので柔らかい土の感触を楽しみながら歩くことができます。華蔵寺公園は土の遊歩道は沼の西土手くらいしかありませんが、はちす権現山はほとんど土のままなので自然の雰囲気を楽しみたい場合にはお奨めです。(2007/1/24 記)


冬のアカマツ林 ▲ページTopへ

[ L ] 2010/2/14

 伊勢崎市内でアカマツ林に出会うのはここ八寸の権現山の他には、五目牛の地蔵山古墳やお富士山古墳、華蔵寺山、多田山などですが、本数が一番多いのはここ権現山でしょうか。
 (※いい加減な事も言えないので、正確に知りたい方は伊勢崎市の公園緑地課に問い合わせてください。)
 アカマツ林には冬が良く似合う

 春先から初冬にかけてサクラやモミジ、イチョウなどの落葉樹が主役を担い、また色鮮やかな草花が自己主張をして人々の目を惹く季節には、なかなかその存在を気付かれない松林。でも周囲の風景が変化に乏しくなる冬の間だけは緑濃い松林の出番です。

[ L ] 2010/2/14


 ・・・でも、マツも松枯れ病が悩みの種。
 この日も、山の西側から南側にかけての斜面を覆うアカマツ林の中に、枯れて赤茶色に変色したマツを数本見つけました。


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権現山遺跡の案内板 (2007/1/20)
【前期旧石器時代研究の引き金・八寸の権現山】


東からの入口。いくつかの鳥居をくぐって境内へ
(2007/1/20)


散策者の踏み跡がいつしか遊歩道に?
こんな自然な感じがホッとします (2007/1/20)

南側からの入口 (2007/1/20)


自然の姿の遊歩道 (2007/1/20) 


西側の入口 (2007/1/20)

山頂に近い遊歩道 (2007/1/20)


頂上にある宝塔 (2007/1/20)


山の南側 (2007/1/20)


公園案内図 (2007/1/20)

アカマツの林 (2007/1/20)


南側 (2007/1/20)


頂上にある野鳥観察小屋 (2007/1/20)


西側斜面の東屋 (2007/1/20)




新緑の季節 ▲ページTopへ

山頂への獣道 2008/6/1


西側斜面のアカマツ林 2008/6/1


南側のアカマツ 2008/6/1

西側山腹の散策道 2008/6/1


南斜面の中腹の鳥居 2008/6/1


アカマツが多いはちす権現山、
一年中緑に覆われているとは言え、
新緑の季節の緑の濃さはまた格別です。

特に南の傾斜地にあるベンチにでも腰を掛けて
目の前に広がる街中の風景を眺め
緑の間を吹き抜けてくるそよ風を身体に受けて
しばし佇めば
身も心も幸せに包まれます

サクラ風景
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北東の道路から。ほぼ満開。(2007/4/1)



レンギョウの黄色も鮮やか。西側の斜面 (2007/4/1)



山頂近く(2007/4/1)



南の鳥居を少し登った場所から (2007/4/1)

(2007/4/1)



足元にはスミレが (2007/4/1)


北側入り口を少し登った場所から (2007/4/1)




【前期旧石器時代研究の引き金・八寸の権現山】 ▲ページTopへ

 考古学者・相沢忠洋氏が昭和21年に笠懸村の稲荷山前の切通しの関東ローム層中から石器を発見し(*)、この発見がそれまでの「日本に旧石器時代はなかったと」言う定説を覆したことは余りにも有名な話ですが、実は相沢氏は岩宿遺跡の調査と前後してこの「八寸の権現山」も調査していて、昭和24年に3つの異なる地層から石器を発見しています。
 第1地点で約4万年より古いローム層から洋梨形握斧など、第2地点で約3万年前のローム層から楕円形握斧など、第3地点で約2万年前のローム層から石刃などが出土したとのことです。
 4万年以上も前に、土器さえも使用しない人々がこの地に住んでいた訳です。

 また、昭和初期には権現山周辺には105基を数える古墳があったとのことで、重要文化財の正装女子像や、男子人物像等の形象埴輪が出土したようです。権現山の丘陵の北側から東側にかけても4基の円墳があり、横穴式石室や「く」の字型石室が見つかり、壁面も朱色に塗彩していたとのこと。壁画があれば高松塚古墳(奈良県明日香村)のように全国区の話題になったかも知れません。
(*)現在では「岩宿遺跡」として国の指定史跡になっています。